【8月8日(木)晴】トマノン → チャウ・サイ・デヴォーダ → タ・ケウ
◆ トマノン(Thommanon)
勝利の門から東へ500メートル、そこから北へ100メートル入ると剥き出しの赤土が広がり、中央にカビで黒くなったトマノンが建っている。
この寺院の直ぐ南に位置するチャウ・サイ・テヴォーダと対になる寺院で、スーリヤヴァルマン二世(在位1113-1150)の統治下、十二世紀に建造されたヒンドゥー教寺院。
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こぢんまりした佇まいのトマノン。 |
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中央祠堂(左)と拝殿(右)。 |
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東塔門(左)と中央祠堂(右)。 |
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経蔵。 |
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寺院内で遊ぶ人なつこい子供たち。 |
◆ チャウ・サイ・デヴォーダ(Chau Say Devoda)
勝利の門からトマノンに続く道を挟んで、トマノンのちょうど南側に位置するチャウ・サイ・デポーダは、スーリヤヴァルマン二世の時代、十二世紀前半に建造されたとされるアンコール・ワット様式のヒンドゥー教寺院である。
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東塔門跡から奥へ空中参道、東桜門、拝殿、中央祠堂が並んでいる。 |
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東桜門の奥が拝殿と中央祠堂。 |
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中央祠堂に安置されていた仏像。 |
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左端から東桜門(左端)と拝殿、中央祠堂(中央)。 |
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経蔵。 |
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北側からの全容。左側が天空参道に続いている。 |
◆ スピアン・トマ(Spean Thma)
チャウ・サイ・デヴォーダから勝利の門に続く道に戻り、そのまま東に200メートル余り往くと南北に流れる、それと言われなければ見過ごしてしまう小さな川がシェムリアップ川。そこに架かる橋から北側を覗くと崩れかけた石の構造物が見える。
これがシェムリアップ最古の石橋といわれているスピアン・トマだ。スピアンは橋、トマは石の意で文字通り石橋を意味している。
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橋の中央部は木が根を張っている。 |
再利用された砂岩のブロックが多数含まれていることからクメール時代(十五世紀頃)の後、十六世紀の中頃に建造されたものとみられている。
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せり出し工法で作られているアーチ。 |
◆ タ・ケウ(Ta Kev Temple)
スピアン・トマからさらに南東へ300メートル余り、そこに建つのが『クリスタルの古老』を意味するタ・ケウだ。
タ・ケウは十世紀末にジャヤヴァルマン五世によって建設が開始され、王の死去によって未完のまま放置されている。四基の副祠堂と中央祠堂からなるピラミッド型のヒンドゥー教寺院。
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東側に周り東楼門から入る。 |
建設中に中央祠堂に落雷があったため、それを神の怒りだと信じて建設を中断したと伝わっている。
東楼門前の立て看板に、この寺院の修復保存事業は中国政府の援助で進められたとあった。
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東桜門前の立て看板。 |
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第一回廊(右)と第二回廊(左)の間。
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第一回廊に設けられた連子窓は偽窓。 |
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中央祠堂への東側石段。上り下りできるのはこの石段だけ。 |
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東側石段前のナンディン像(シヴァの乗り物とされる牡牛像)と仏塔。 |
建設が途中で中断されたままの構造物は、当時の建築方法や手順などを解明するために役立ったそうだ。
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第一回廊と楼門。 |
中央祠堂がある上壇が狭くて中央祠堂がカメラの画角に収まらない。
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中央祠堂(左/部分)と副祠堂(右/部分)。 |
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中央祠堂に祀られる仏像は後世の物。 |
中央祠堂に上り副祠堂を見ると、のっぺらなゴツゴツした石を組み上げた様子がよく分かる。建設途中で放棄されたままのタ・ケウには彫刻がないことから、当時の寺院建築は石を組み上げてから彫刻を施したことが分かる。
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彫刻が施されないまま残った副祠堂。 |
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