【8月8日(木)晴】アンコール・トム(1)
朝食が用意される一階のダイニングルーム "J All Day Dining"
に行くと、そこここに日本人の姿が見える。
Bun さんがもっと日本語を勉強して日本で働きたいと言っていたが、オープン三年だというこのホテルも日本人客が増えているのだろう。
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一階にあるレストラン "J All Day Dining"。 |
一番奥のサービスカウンターでは客の注文に応じてスクランブルエッグやクイティウ(カンボジア版フォー)を作ってくれる。
クイティウに入れる肉は何種類か並んでいるが鶏肉を選択、香菜は好みに合わせて自分でのせる。
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今朝の鶏クイティウ。 |
カフェテリア方式の朝食に用意されているのは洋中で和はなし。
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今日の朝食。カップの中はシリアル。 |
早朝は雲が厚かったが朝食を済ませる頃には明るくなって陽が射してきた。
朝食を済ませてから、昨夜 Bun さんがチェックしてくれたアンコール遺跡周遊リストを若いコンシェルジュ君に見せて、トゥクトゥクを手配してもらう。
直ぐにホテル前に現れたトゥクトゥクのドライバー氏は Chab Sarat(チャブ・サラット)さん。
チャブさんに自作の周遊リストを見せて、今日から三日間の案内をお願いする。チャブさんとの料金交渉の結果、今日は夕景見学まで含めて US$ 25(¥2,750)。
これが自作の周遊リスト。
【一日目】
● 午前
▪ アンコール・トム(Angkor Thom)
バイヨン(Bayon)
バプーオン(Baphuon)
象のテラス(Elephant Terace)
ライ王のテラス(Leperking Terace)
ピミアナカス(Phimeanakas / Royal Palace)
プラサット・スゥル・プラット(Prasat Suor Prat)
クリアン(Khleang)
プリア・ピトゥ(Preah Pithu)
テップ・プラナム(Tep Phlannam)
プリア・パリライ(Preah Palilay)
● 午後
▪ アンコール・ワット(Angkor Wat)
▪ バクセイ・チャムクロン(Baksei Chamkrong)
▪ プノン・バケン(Phnom Bakheng)
▪ 夕日(Sunset)
【二日目】
● 午前
▪ プリア・カン(Preah Khan)
▪ ニャック・ポアン(Neak Pean)
▪ クロル・コー(Krol Ko)
▪ タ・ソム(Ta Som)
▪ 東メボン(East Mebon)
● 午後
▪ プレ・ループ(Pre Rup)
▪ スラ・スラン(Sras Srang)
▪ バンテイアイ・クディ(Banteay Kdei)
▪ タ・プローム(Ta Prohm)
▪ タ・ケウ(Ta Kev)
▪ トマノン(Thommanon)
▪ チャウ・サイ・テボーダ(Chau Say Tevoda)
【三日目】
● 午前
▪ アンコール・ワットの日の出(Sunrise At The Angkor Wat)
● 午後
▪ ロリュオス(Roluos)
▪ プリア・コー(Preah Ko)
▪ バコン(Bakong)
▪ トンレサップ湖ツアー(The Tonle Sap Tour) |
9時にホテル前を出発。
三年前に一度計画したのだが果たせなかったアンコール・ワット遺跡群訪問が始まった。
チャブさんはほぼ自作のリスト通りで回れると言っているが、中には修復中で閉鎖している遺跡もあるようだ。果たして実際に回れるのは何カ所になるのだろうか?
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チャブさんの後ろ姿。 |
アンコール・ワット遺跡群を周遊するには周遊券が必要で、先ずはホテルから4キロメートル余り北東のチケットセンターに向かう。
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チケットセンター。 |
チケット販売カウンターにズラリと並んだ窓口に行列はなく、窓口の前に立つとカウンターの上に据えられたデジタルカメラで顔写真を撮られる。
2分と待たないうちにカウンター嬢が手渡してくれたチケットには、今撮った顔写真が入っている。三日間の周遊券で有効期間は十日間、料金は US$ 62(¥ 6,820)。
発券はアッいう間に終わった 。
遺跡を見学する際は入り口の近くにいる係員にこのパスを提示することになる。
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アンコール・ワット遺跡群三日間周遊パス。 |
チケットセンターを出てアンコール・トムの南の入り口、南大門に向かう。
「アンコール・トム」は大きな都市という意味で、サンスクリット語の「都市」を意味する「ナガラ」と、クメール語の「大きい」という意味の「トム」を語源としているそうだ。
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参道の正面が南大門。 |
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参道左側のナーガを引き合うく神々。 |
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参道右側のナーガを引き合う神々。参道の両側はお堀。 |
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ナーガを引く像の間からお堀が見える。 |
十二世紀後半に、クメール王朝(アンコール王朝)のジャヤーヴァルマン七世(在位1181 - 1218 or 1220)によって、一辺約3キロメートル、高さ8メートルの城壁と、幅100メートルの掘りで囲まれた城都が造営されたが、それが現在のアンコール・トムだといわれている。
アンコール・トムの遺跡にはヒンドゥー教に混じって大乗仏教の影響が見られる。ヒンドゥーの宇宙観が基になっている古代インド建築様式だ。
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アンコールトムの南大門。 |
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南大門上の四面塔。痛みが酷く表情が分からない。 |
南大門から真っ直ぐ北に1.4キロメートル進むとバイヨン(Bayon)に突き当たる。
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バイヨンの前で出会った象のツアー。 |
◆ バイヨン(Bayon)
ここでチャブさんとトゥクトゥクに分かれる。どの遺跡でもチャブさんは一緒に遺跡に入ることはなく、入り口で待つか出口を示してそこで待っていた。
アンコールトムの中央に位置するバイヨンへは東側から入る。
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東門に向かって伸びる石畳のテラス。
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アンコール王朝の中興の祖と言われるジャヤーヴァルマン七世がチャンパ王国(ベトナム中部沿海地方)に対する戦勝を記念して十二世紀末ごろから造成に着手したと考えられている。当初は大乗仏教の寺院であったが、アンコール王朝にヒンドゥー教が入ってくると寺院全体がヒンドゥー化した。
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テラスの左右に配された聖地は水が涸れ、底が緑の芝で覆われていた。 |
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東門。 |
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東門の壁に刻まれたデバター。 |
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後世になって廻廊に設置された仏像。 |
バイヨンの特徴の一つに塔の四面に彫られている四面像がある。
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塔頂に彫られた四面像群。 |
四面像は観世音菩薩像を模しているといわれているが、戦士が被る葉飾りつきの冠をつけていることから、ジャヤーヴァルマン七世をモデルにしたものではないかとの説もあり、クメールの微笑みと呼ばれている。
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観音像なのか、ジャヤーヴァルマン七世なのか? |
二十一世紀に入り、コンピュータを用いた画像解析の手法によってこれらの四面像はヒンドゥー教の神々を表しているという説も出ている。
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横顔が最も美しいと言われている四面像。 |
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崩れた廻廊の煉瓦が積み上げられたままの境内。 |
廻廊を進むと明らかに仏像ではない座像に出会う。曲がった背がくる病を思わせるが何方だろう?
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くる病を連想させるこの像は何方?。 |
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西の外れからのバイヨン。 |
バイヨンの次に向かったのは北西隣にあるバプーオン。
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