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2018年8月:台南 8月16日┃8月17日┃8月18日┃8月19日┃8月20日 8月21日┃8月22日┃8月23日┃8月24日┃8月25日┃地図 西羅殿・成功大学│延平郡王祠│臨水天人媽廟・五妃廟│大南門・孔子廟│友愛街界隈│林百貨店 【8月20日(月)晴】友愛街界隈 昼食に良さそうな店を探して泮宮石坊の前を南に。
人が通れるのかと思われるような細い路地の奥にも同じ「窄門」の看板が出ているがどうやら喫茶店らしい。とてもこの細い路地に入る気にならない。
めぼしい食堂が見つからず泮宮石坊をくぐって府中街へ。
頼んだのは当てずっぽうの炒泡麺(インスタント麺炒め)は60元(216円)。不味くはないが可も無し不可も無しといった味だった。
保哥黒輪の前を更に奥に入ると祭の準備中らしい永華宮の前に出る。
永曆16(1662)年に現在の台南女中の山尾と呼ばれる場所に、福建省安南の鳳山寺の分寺として創建されたのが始まりで、当時は鄭成功の臣下で参軍の陳永華が祀られていた。
陳永華がこの世を去った後、乾隆15(1750)年に民衆が台湾の文化教育への貢献を感謝し、改修を施すとともに廣澤尊王を祀って廟名を永華宮と改名した。
友愛街に入って武徳殿の入り口を探しながら葉石濤文学記念館の前まで来ると左手の奥にそれらしい建物が見えるが、入り口が見つからない。
武徳殿の入り口を探していて忠義路二段に出てしまった。
忠義路、府前路を注意深く歩いたが何処にも武徳殿の入り口がない。
ようやく辿り着いた武徳殿、正しくは「旧台南武徳殿」で、日本の伝統的な社殿建築様式を持つ建物。
友愛街に戻り重慶寺を訪ねて葉石濤文学記念館の裏に回る。
創建は清・康熙60(1721)年というから、見かけよりもずっと由緒ある寺で、創建当初は臨済宗(禅宗)の寺だったようだが、現在は西藏密宗噶举派(白教)の末寺になっている。台南府城七寺八廟の一つに数えられている。
台南府城七寺八廟とは民間に伝わる台南の代表的な寺廟を、台南文学委員会が1961年に認めたもの。
この寺にも月老公(月下老人)が祀られている。
祀典武廟の月老公は「片思い」担当、 大天后宮の月老公は「二人の中を更に強く」担当だったが、こちらの月老公は「浮気根絶」が担当だそうだ。
もう一カ所、今回は見落とした大観音亭の月老公は「結婚祈願」に御利益があるという。台南の月老公、たいしたものだ。 * 重慶寺の月老公と速報司の写真は南人幫のサイトから拝借した。 |