【8月17日(金)晴れ時々曇り】祀典武廟(大関帝廟)
赤嵌樓の門を出ると目の前の一角が白い帆布で覆われている。赤嵌楼前の民族二段を渡りその白い帆布で覆われた壁を辿ると修復工事中の祀典武廟の門の前に出る。
祀典武廟前の僅かな空き地にはスクーターが並んでいる。
見学できないのかと諦め半分だったが正面に回ると、そこは帆布がかかっておらず、中から線香の濃い匂いが流れてくる。
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祀典武廟とスクーター。 |
祀典武廟は関羽を祀る関帝廟で、ここは台湾の関帝廟の総本山、大関帝廟とも呼ばれている。
明の永暦年間(十七世紀中頃)の建立と伝わる台湾最古の関帝廟らしい。軍神・関羽は財神としても祀られており台湾の人々から「商業の神」としても崇められている。
門を入り『人倫之至』と『大丈夫』の扁額の下を本殿に向かう。
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『人倫之至』と『大丈夫』。 |
本殿前も修復工事の帆布が垂れ下がり仮設フェンスで仕切られて狭苦しい。
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帆布で仕切られた本殿前。 |
本殿の祭壇前には冥銭(紙銭)や赤色、白色、黄色、紫色の花々が供物台一杯に供えられ、正面の赤ら顔の関帝がこちらを睨んでいる。
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冥銭や花々が備えられた供物台。 |
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赤ら顔の関羽像。 |
線香から昇る青い煙を長々と引きながら関帝にお参りする人は引きも切らず、その年齢層も幅広い。
修復工事の帆布の間から覗いてみたが、外壁を修復しているようだった。
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修復工事の帆布の中。 |
本殿を抜けるとここも修復工事の足場と帆布に覆われている観音廰で入り口部分だけ開いている。
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足場に囲まれた観音廰。 |
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観音廰内部。 |
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観音廰正面に祀られる観音仏祖。 |
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観音像の右手に祀られた註生娘娘。 |
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観音像左手に祀られている福徳正神。 |
観音廰の左手、補修工事の足場の陰に冥銭を燃す「金爐」があった。
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金爐。 |
金爐の前を抜けて観音廰の裏に回る。「西社」には五文昌帝君が祀られている。
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西社。
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西社の祭壇。 |
五文昌帝君とは文昌帝君、魁斗星君、朱衣神君、孚佑帝君、文衛聖帝。文衛聖帝は五文昌における関聖帝君の神名で関羽のこと。
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祭壇に並ぶ五文昌帝君。 |
西社の左に出ると「海日天中」の扁額が掛かる「六和堂」の前に出た。
嘗て武廟の近隣六町街の寺社が「六和境」を組織し、その事務所として建てられたのがこの「六和堂」だという。
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「六和堂」。 |
六和堂には火徳星君、張仙大帝と王天君が祀られている。
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六和堂の祭壇。 |
火徳星君は道教の火の神、張仙大帝は関聖帝君(関羽)の属神、王天君は道教で日を司る神。
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左から王天君、火徳星君、張仙大帝。 |
六和堂から大歳殿に回る。
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大歳殿。 |
太歳殿の内部は小さな座像がびっしり並んで煌びやかだ。
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太歳殿内部。 |
中央の祭壇には斗姆元君が祀られている。斗母元君は道教の女神。寿命を司り「日の光」を意味するという。
祭壇の前に置かれた石の円柱には道教のシンボル・太極と干支が刻まれている。
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中央の斗母元君像と石の円柱。 |
斗母元君を祀った祭壇の左右にも像が居並んでいる。
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左側の祭壇。 |
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右側の祭壇。 |
右側の祭壇の上段、右端に立派な髭に両眼から手が飛び出している像を見つけた。手の平には目が描かれており、台座には「甲子太歳全辨大将軍像」とある。
成都の三星堆博物館で見た青銅縦目面具を思い出した。
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眼から手の像を初めて見た。 |
太歳殿に並ぶこれも小さな祠は月老祠で祭壇には月老公が祀られている。
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月老祠。 |
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月老祠の内部。 |
祭壇に祀られているのが恋の神といわれている「月老公」、日本では月下老人と呼ばれている。
月老公は台南各地に祀られているが、こちらの月老公は特に「片思い」に御利益があるという。女学生が何時までも熱心に頭を垂れていた。
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月老公(月下老人)。 |
◆ 月老公について
北宋時代(960 - 1127)に作られた前漢(紀元前206 - 紀元8)以降の奇談を集めた「太平広記」に、その出典を「続幽怪録(続玄怪録)」とする「定婚店」という話の中に登場する。
唐(618 - 907)の時代に韋固(Weigu)という人物がいた。
彼は旅の途中、宋城の南の宿場町の寺の前で月明かりに照らされながら、大きな袋に寄りかかって難しそうな書物を読む老人に出会った。韋固が老人に何の本を読んでいるのか問うと、老人は天界から来たのだと言い、この世の男女の縁組みを司っているのだと答えた。さらに、袋の中の赤い紐で夫婦になる男女の互いの足首を結ぶと、その二人は必ず結ばれるのだとも語った。
以前から縁談に失敗し続けている韋固は、この先、縁談が上手く整うかどうかを老人に尋ねると、老人は手元の書物を開いて 『お前さんには既に赤い紐で結ばれた人があるので、それ以外の縁談は全て破談するだろう』と答えた。
韋固が赤い紐の先にいるのは誰かと重ねて尋ねると『お前さんの結婚は今から14年後で、その相手は…』と教えてくれた相手は、この宿場町で野菜を売る貧しげな老婆が育てている未だ三歳の幼女だった。
『この私が、あのみすぼらしい娘と結婚すると言うのか!』と怒った韋固は召使にその幼女を殺すように命ずるが、幼女を前にして躊躇した召使は手元を狂わせ、幼女の額に傷をつけただけで逃げ去ってしまった。
その後も韋固には何度も縁談が持ち上がるのだが、いずれも整うことは無く、いつしか14年が過ぎていった。
韋固が相州で上級役人として働くようになった頃、安陽(Anyang)の長官・王泰(Wangtai)の娘との結婚がまとまった。その娘は、容姿端麗で気立てもよく、まったく申し分のない女性だったのだが、彼女は寝るときも風呂に入るときも、どんなときも額の花飾りを外さないという変った習慣を持っていた。
韋固がその訳を問うと、妻は涙ながらにこう打ち明けたのだった。
『王秦は私の実の父ではありません。幼い頃に両親を亡くし乳母に育てられました。三歳のとき、私は暴漢に遭い刃物で額を傷つけられてしまったのです。あなたに傷跡を見られるのが恥ずかしくて、今まで隠しておりました。』
韋固は14年前に出会った老人のことを思い出して大層驚き、その時の不思議な体験を妻に語り、彼女に心から謝罪した。二人は神から授かった良縁を育みながら、末永く仲睦まじい暮らしを送ったそうだ。
この話を聞いた宋城県令は宿場町を定婚店と改名したという。
やがて、この話が広まって結婚や恋愛を仲介する神を月老公と呼ぶようになった。
また、赤い紐については次のような話も残っている。
その話は仁裕(Renyu/880 - 956)の撰になる盛唐時代(712 - 765)の栄華を伝える遺聞を集めた『開元天宝遺事』にある。
見た目が好ましく才能もある郭元振(Guo Yuanzhen)という若者がいた。
宰相の張嘉貞(Zhang Jiazhen)が婿に欲しいというと、元振は『公の家には五人の娘さんがいますが、私はその美醜を知りません。実際に会ってから決めさせてください。』と伝えた。
宰相は『私の娘は皆容色に優れています。あなたに相応しいのがどの娘なのか私には分かりません。私は娘たちに紐を持たせて幕の陰に座らせましょう。そしてあなたが引いた紐を持つ娘を差し上げましょう。』と応じる。
元振は喜んでこれに従い赤色の紐を引くと、その先を持っていたのは三女だった。
彼女は大層美しい女性で、夫の出世に伴い彼女も尊い地位を得たそうだ。
台湾初の首府が置かれた古都・台南には1,000に及ぶ寺廟があると言われている。
月老公を祀る廟も数多く、なかでも祀典武廟、台南大天后宮、大観音亭、重慶寺に祀られている月老公を四大月老公と呼び、その霊験もあらたかだと伝わっている。
どの月老公も長い髭を蓄え、右手に杖を、左手に男女の縁組を記した帳簿を持ち、少し前屈みで立っている。
そして四大月老公にはそれぞれ得意分野があるという。
・片思い中の祈願を成就してくれる祀典武廟の月老公
・思いを寄せ合う二人の距離を更に近づける大天后宮の月老公
・良縁に恵まれ成婚率も高い大観音亭の月老公
・相手の浮気を覚ましてくれる重慶寺の月老公
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