【8月21日(火)晴時々曇り】民族路・正興街
見落としている観光スポットを回りながら朝食を済ませるつもりで、ホテルから中山路に出る。
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今朝の中山路。 |
漢宮大飯店の先にあるUFOキャッチャーを並べたゲームセンター「童娃世界」はいつ通りかかっても開いているが、さすがに朝のこの時間、遊んでいる人はいない。
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UFOキャッチャーが並ぶ童娃世界内。 |
中山路を挟んでゲームセンター童娃世界の真向かいは台湾高等法務院台南分院。
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台湾高等法務院台南分院。 |
中山路を西に下り、朝食に好さそうな食堂を物色しながら民権路二段に入いる。
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民権路の看板。 |
公園路の角を曲がって足場がとれない旧台南測候所を横目に、国立台湾文学館の前で公園路をUターン、民族路二段まで戻る。
それにしても朝食を当てにしていた湯意麺屋も再發號も未だ閉まっている。
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旧台南測候所(右)と台湾南区気象中心。 |
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国立台湾文学館。 |
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民族路の看板。 |
民族路二段と公園南路の交差点で営業している食堂
「李家肉粽」があった。
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李家肉粽で朝食。 |
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李家肉粽のカウンター。 |
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李家肉粽のお兄さん。 |
肉粽35元(126円)と味噌湯10元(36円)を注文。
李家肉粽の店内にテーブルの用意は無く、歩道の一角を占拠しているテーブルでで朝食を済ませる。肉粽は何度か口にしているが、何処の店でも外れがないのが好い。味噌湯は和風の味噌汁だった。
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味噌湯と肉粽。 |
お腹も収まったので、台南車站に寄って高雄行きの切符を買いホテルに戻る。
小宮山さんから台南にいる間は9月1日開催の日中韓タイポグラフィ・セミナーのことは考えるなと、ありがたいメールが届いていた。
10時過ぎに正興街を目指してホテルを出る。
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ホテルの前の夏空。 |
中山路、民生路を経て西門路で左折。
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西門路の看板。 |
最近再開発されたという細い正興路に入いる。
何処が再開発されたのか、左右の街並みは古いままで人出は無い。
海安路を越えてみたが、やはりそこにも何も無かった。
閑散としている正興路で寺廟に出会った。聚宋宮と書かれている。
1910年に地元の人達によって建てられた「福心堂」が前身で、1968年に隣接する現在地に紀府千歲、康府千歲、馬府千歲を祀った廟を建て、名称も現在の「聚宋宮」と改められたらしい。
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聚宋宮。 |
紀府千歲について調べてみると、以下のような逸話が残っているのが見つかった。
紀府王爺とも呼ばれることのある紀府千歲の名前は紀信で前漢(紀元前206 - 8)の人。
紀元前204年、滎陽の戦いで楚の項羽が漢の劉邦を包囲したとき、その容姿が劉邦に似ていることから、紀信は自ら劉邦の身代わりになって城を出、項羽に捕らえられる。しかし項羽は偽の劉邦を見破り部下にこう言ったという。
『私には千百の武将がいるが、紀信のような忠信で勇敢な武将は一人も居ない』
項羽は自分の幕閣に加わるよう紀信に勧めたが、紀信は項羽の求めに応じるこることは無かった。項羽は紀信の要望を受け入れて彼を火刑に処した。
康府千歲と馬府千歲は面倒なので調べない。
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三位王爺的神像。 |
正興街はネコをシンボルにしているようでアチラコチラのネコの立看が立っている。
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ネコ、ネコ、ネコ。 |
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こっちもネコ、ネコ、ネコ。 |
正興街を西門路に戻り府前路に向かうと、正興街の直ぐ南側に奥まで薄暗い路地がある。興味半分で入って行くと、両側は生地を始め服飾に関する材料を得る店が並んでいる。
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ボタンやトリム類を得る店もあった。 |
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店毎に色の印象が異なる生地屋。 |
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突き当たりを出ると西門路二段に出た。 |
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