【8月20日(月)晴】大南門・孔子廟
城垣南門段殘蹟を離れて樹林街二段を西に緩く下り南門路に出ると南門公園の前に出る。
公園北側にあるのが台湾府城の十四の門の内、最大の大南門(寧南門)で1725年に造られた門。
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公園内の大南門。 |
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門から覗いた城門閣。 |
門の内側は半月型の甕城(おうじょう)で「月城」とも呼ばれる。現在はここで音楽会などの催し物が開かれるらしい。
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「月城」とも呼ばれる甕城(おうじょう)。 |
南門公園の南西角にあるのが1736年に造られた国家三級古蹟に指定されている大南門碑林。ここに集められた歴史的に重要な石碑は、台南の歴史を研究するための重要な資料になっている。
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大南門碑林。 |
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石碑の大半は印刻面の摩耗が激しかった。 |
南門路を北上。
来る時には気づかなかった大きな教会は長老教会派南門教会堂。
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長老教会派南門教会堂。 |
府前路一段で左折、直ぐ左手が日本家屋風の愛国婦人館。
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愛国婦人館。 |
日本愛国婦人会は、第二次世界大戦時の日本の婦人団体。会館は1920年に典型的な和洋折衷建築として建てられ、第二次大戦後は赤十字の管理下に置かれた。国民党台南市支部として使われたこともあり、その後は台南市中区図書館として使用されていた。
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入り口を入るとロビーになっている。左側が入り口。 |
2012年にリフォームされ台南創意センター(台南創意中心)の事務所となり現在に至っている。
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ロビーの隣の部屋は展示室。 |
館内は木造で二階は日本家屋の様式がかなり残されている。
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嘗ては畳が敷かれていたと思われる二階の部屋。 |
府前路一段を渡り南門路を150メートルほど往くと左手に台南孔子廟がある。
南門路に面した孔子廟入り口の東大成坊には不釣り合いなほど大きな扁額「全臺首學」が掛かっている。「全臺首學」は「台湾で最初に造られた文廟と国学」ほどの意か。
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東大成坊。 |
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扁額の「全臺首學」。 |
東大成坊の右手に
「台南孔子廟」の石柱がある。
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台南孔子廟の石柱。 |
台南の孔子廟は文廟とも呼ばれる。
鄭成功の息子鄭経が永暦19(1665)年、この地に文廟と国学を創設したのが始まりで、その後、幾度か改修・修復が繰り返されている。大成門の扁額「全臺首學」は「台湾で最初に造られた文廟と国学」ほどの意か。
東大成坊を入ると南面する孔子廟正面に対して「左学右廟」と言い、左(東側/南門路側)に学びの場である明倫堂が、右(西側)に孔子を祀る「孔廟(文廟)」を配している。
明倫堂と明倫堂の前に建つ入徳の門、明倫堂の右に建つ文昌閣は修復工事中のために見学することができなかった。
文廟には大成門を通って入るのだが、ここで拝観券を購入。25元(90円)。
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文廟の拝観券は25元。 |
修復工事のために養生されている大成門の右端をくぐると正面が大成殿。
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大成殿。 |
大成殿正面石段の鉄柵の中は石に彫られた龍のレリーフがあった。
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鉄柵の中の龍。 |
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正面を向いた龍の目が可愛い。 |
大成殿の右端から入ると手前と奥に二枚の扁額が並ぶのが見える。
それぞれ第十四代総統の蔡英文と初代—第五代総統の蒋中正(蒋介石)の揮毫によるもの。
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右側の二枚の扁額。 |
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蔡英文と蒋中正(蒋介石)の扁額。 |
大成殿の左端から入ると第十二・十三代総統の馬英九と第六・七大総統の蒋経国の揮毫による扁額がそれぞれ手前と奥に並んでいる。
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左側の二枚の扁額。 |
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馬英九と蒋経国の扁額。 |
大成殿中央の祭壇には「至聖先師孔子神位」と書かれた位牌が祀られる。祭壇前の左右にも工事中の養生が施されていた。
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大成殿正面の祭壇。 |
正殿の裏にある後殿は崇聖祠で、ここには孔子の父叔梁紇を始め五代にわたる孔子の先祖が祀られいる。
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崇聖祠。 |
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崇聖祠に祀られた五体の位牌。 |
大成門を出て西大成坊から孔子廟を出る。
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西大成坊の外は東大成坊とはずいぶん趣が違う。 |
南門路に戻る。
南門路を挟んで東大成坊の真向かいに古びた石造りの碑坊が建っている。清の乾隆42(1777)年に知府(台南府知事?)の蔣元樞によって建てられた泮宮石坊だ。
泮宮とは諸侯が開いた学校を指した名前で、泮宮石坊 は孔廟と学校の結合を象徴 している。
今は南門路で隔てられているが嘗てこの碑坊が孔子廟の一番外側の門になっていたという。
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泮宮石坊。 |
泮宮石坊をくぐって孔子廟を振り返ると、ここが南面路を挟んで孔子廟の入り口、東大成坊の真正面にあることが良く分かる。
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泮宮石坊越しに見える東大成坊。 |
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