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2011年8月:ハノイ 8月5日┃8月6日┃8月7日┃8月8日┃8月9日┃8月10日┃8月11日┃8月12日┃8月13日┃地図 ホーチミン廟・ホーチミンの家・一柱寺│鎮武観│鎮国寺・舘使寺 【8月7日(日)】ホーチミン廟・ホーチミンの家・一柱寺 朝食はホテルのロビーでフォー・ボー・チン(茹で牛肉フォー/Beef Nodle Soup)とパッションフルーツジュース。
9時前ホテルを出る。
ガイドブックには外国人とベトナム人は別々の入り口から入ると書いてある。自分が並ぶ列の最後尾を探してウロウロする。長い列に並んでいる人を見ると外国人観光客も混じっているので、たどり着いた長い行列の最後尾に並んだ。
未だ入口までは大分あるなぁと思っている所へ、行列を整理している係員が近づいて来た。何事かと思っていると背中のザックを指さして場内の一角を指さして行けと言うそぶり。どうやら列を外れて荷物を預けに行けと言うことらしい。
ザックを預けるときに取り出したカメラはセキュリティーのためにX線機を通して、渡された赤い手提げに入れて隣のカメラ預け所に預けて荷札を受け取る。預けたカメラは廟見学後に廟出口の近くにあるカメラ受け取りコーナーで受け取れるようになっていた。
ホーチミン廟の入口が見えてくる頃は既に10時を回って陽射しが強い。汗を流しながらひたすら列の中で待つこと一時間余り。やっと入った廟内は冷房が効いていて一気に汗も引っ込む。
ホーチミン廟を出ると道は「ホーチミンの家」の入口に続いている。否でも応でもここを通るしかないようで「ホーチミンの家」を見学しないと外に出ることができないようになっている。
公園の一角に生前ホーチミンが利用していたという車が三台飾ってあった。
公園内の行列について進んで行くと緑に囲まれた池の畔に木造の高床式の家が一軒建っている。ホーチミンが1969年まで住んでいた「ホーチミンの家」だ。家の前にある木はホーチミンが植え育てたというジャスミンの木。こんな環境ならここで暮らしてもいいな。
家の横から階段で二階の居住区に上がる。中に入ることはできないが廊下から内部を見学することができた。
ホーチミンの家から出口までの広い敷地内は観光客が途切れることがなく、土産物店が並ぶ様子は何処にでもある観光地そのもの。
ホーチミン博物館の前は赤煉瓦が敷き詰められている。
ホーチミン博物館の右手前に小さな寺社の門がある。「圓覺門」とある門をくぐる。
門の中はこぢんまりしたお寺。屋根の上に「延祐寺」と掲げてある。
延祐寺の中を通り抜けると背後の池の中に立つもう一つお堂があった。「一柱寺」だ。そのお堂を撮影しようとしたらカメラが電池切れ。予備の電池は預けてあるザックの中だ。
李朝の始祖レタイトー(李太祖)が1049年に建立した延祐寺の楼閣「一柱寺」は、一本の柱の上に仏堂が建っているのでついた名前。レタイトーが蓮華の上で子供を抱く観音菩薩の夢を見てから間もなく子供を授かったことから、蓮の花に見立てて建てたのがこのお堂だと伝わっている。
ホーチミン博物館の展示物(生家の模型、愛用品、書簡など)に興味がわかなかったので博物館見学はパス。 |