【5月6日(金)】張氏師府博物館
昨夜も雨が降ったらしく道路のあちらこちらが濡れている。
昨日の午後辺りから軽い咳が出始め、喉がスッキリしない。街のひどいホコリが原因だろう。
ホテル前の通り、朝陽街には大きなスーパーマーケットがないようだ。フロント嬢に訊くと暫く首をかしげてから、朝陽街を渡ってホテルの前の小路を入った所にあると教えてくれた。
ホテルの前に昨日やりあったタクシーが停まっている。ばつが悪そうにして顔をそむけている。
近づいていって『早上好!』と声をかけると、照れ笑いをしている。『昨日30元と言っていたが、帰りのタクシーは15元だったよ』通じたかどうか分からないが言いたいことは言わせてもらった。
上海に行ったときに買って帰ったら好評だった「家楽」ブランドのスープを買いたくて、ホテル前の小路を入って行ったがホテルで教えてくれたスーパーマーケット「新天地超市」はすぐに分かった。
さして広くない店内に入り「家楽湯」はあるか店員に訊くが通じない。簡単に絵を描いて使い方を説明したら棚まで連れて行ってくれた。若い女性店員が数名回りに集まってきた。大きな声で何を喋っているのだろう、はしゃいでいるように見える。
7種類しかなかったがそれぞれ7個ずつ欲しいというと、10個ずつ縛ってあるからこのままでどうかと勧めてきた。商売上手だ。どうせバラバラにしてしまうが10袋をまとめて縛ったものを買う。合計196元(約2,548円)、1個2.8元(約36円)。空のビニール袋を10袋入れてもらったら、これが有償で3元(約49円)だった。
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何度か足を運んだ新天地超市。 |
ホテルに戻り杭州小籠包屋で何時もの朝食。
ガイドブックを見るとホテルと同じ街区に「張氏帥府博物館」がある。10時過ぎにホテルを出た。歩いてもワンブロックだ。
「張氏帥府博物館」は中華民国初期の軍人・政治家で、北洋軍閥系奉天派の総帥・張作霖と長男・張学良の官邸兼私邸跡を記念館として公開しているものだ。張作霖は浅田次郎の小説「中原の虹」の中で、清朝末と満州国という時代を背景にその活躍する姿が生き生きと描かれている。
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「張氏帥府博物館」前の広場。 |
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広場に建つ像の台座には「張学良将軍」とある。 |
張作霖と張学良が生活し政務を執った「張氏帥府博物館」は入場券裏の説明によると、建てられたのは1914年、専有面積5万3千平方メートル。ガイドブックには3万6千平方メートル、Wikipediaには1.6平方キロメートルとある。
Google Earthの写真で大まかに測ると4万5千平方メートル、境界の取り方で多少の差は出るだろうがいくらなんでもWikipediaの数字はないだろう。
張氏帥府博物館の内部は東から東院、中院、西院の三つの部分で構成されている。東・中・西の三つの部分で構成されているところは瀋陽故宮に倣ったのだろうか。入館料50元(約650円)、この入場料もやはりここでの日常の生活費からするとかなりな金額になる。
●張氏帥府博物館全体の配置は「博物館全景」を参考にしてください。
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張氏帥府博物館と瀋陽金融博物館の入場券。 |
この博物館の展示の扱いを見ると張作霖よりも息子の張学良の方を大きく、また数多く取りあげているのは学良の方が現在の中国に対してより大きな働きがあったからなのだろう。
張学良が晩年、ハワイに暮らしたことを知らなかった。それから張作霖に5人もの奥さん(最初の奥さんは早期になくなっている)がいたことも知らなかった。
朝から曇っていた空が博物館見学中に小雨模様になる。
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張氏帥府博物館正門と入場口の通用門。 |
正門の左手壁に大理石のプレートが二枚嵌め込まれている。左側のプレートを好く見ると「全国重点文物保護単位 張学良旧居 中華人民共和国国務院
一九九六年十一月二十日」と彫ってある。張作霖の旧居としていないところに、父と子に対する評価の違いが現れているのだろう。
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正門左の塀に嵌め込まれたプレート。 |
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