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  2011年5月:瀋陽 II
5月6日5月7日地図
張氏帥府博物館博物館(中院)博物館(東院)清真美食街●博物館全景

【5月6日(金)】清真美食街

張氏師府博物館見学の後、一度ホテルに戻って小休止。

4時過ぎ、ガイドブックにあった「西関回頭館」を探しに出る。ホテルから西北の方角におよそ2.5km程か。
朝陽街から中街に入る。中街の東側では地下鉄工事が進んでいる。

地下鉄工事中の中街。

中街を西に進む。

緑色のドームをつけた5階建ての建物が二つ並んでいる。
手前(東側)が吉順隆絲房で現在は「鵬達体育」と言うスポーツ用品店になっている。奥(西側)に建つのが吉順絲房で現在は「何氏眼科近視治療中心」が営業している。

吉順絲房は中街で最も早く建てられた五階建ての洋風建築で、他の四階建て、五階建て建設を誘発することになったとされている建物。絲房は百貨店のこと。

手前が吉順隆絲房で奥が吉順絲房。

歩行者天国のはずの中街に大きなバスが入り込んでいる。広告塔バスだ。女性用シャンプー・コンディショナーの広告のモデル写真の横に小さく「日本女星 沢尻英龍華」と書いてある。沢尻エリカだ。

広告塔バスの沢尻英龍華。

西順城街を突っ切って小西路に入いりさらに西進。奉天街との交差点をを200mほど北に行けばいいはずだ。
キョロキョロしながら奉天街を歩いていると、右手にモスクのドームをのせた「清真美食街」と書かれた門の前に出た。

「清真美食街」入り口の門。

門をくぐると清真料理店(イスラム料理)の青い看板が並んでいる。

清真料理店の青い看板が並ぶ「清真美食街」。

鉦や太鼓の音とともに4頭の獅子が先ほどの門の辺りから美食街を練り歩き始めた。旧正月でもないのに獅子舞とは、何処かで新しい店でも開店したんだろう。

開店祝いだと思われる獅子舞。

青い看板の中に「西関回頭館」は直ぐに見つかった。思っていたよりも小さな店だ。

「西関回頭館」の前を行く獅子舞。

店内は空いている。
入口を入るなり店員がこちらを値踏みするように『日本人か?』と訊いてきた。そうだと返事をしながら窓際のテーブルにつく。店員が持ってきたメニューを見ながら、お勧めを訊くと日本からの観光客の殆どがこれを頼むと言って「回頭餅」と「酸菜炖肉」を勧めてくれた。

食事時を過ぎているからだろう空いている店内。

できあがった料理をテーブルに並べ終えた店員嬢に、写真を撮るからテーブルに座るように頼むと気軽に応じてくれた。日本人は何で「回頭餅」と「酸菜炖肉」ばかりを頼むのかと訊いてきた。
持っていたガイドブックを開いて見せると小さく載っていた店と「回頭餅」「酸菜炖肉」の写真を見つけて大喜びしたり、納得したり。

愛嬌の良い店員嬢。

回頭餅と酸菜炖肉。

「回頭餅」は羊肉入りが3本、ニラとタマゴ入りが3本の6本。回頭餅は日本の鉄板棒餃子に似ているが具がしっかりと詰まった別物だった。味は濃いめなのでタレなどを付ける必要はなく、そのままでも美味しい。ただ、いかんせん量が多い。半分しか食べられなかった。

羊肉入り回頭餅。

ニラとタマゴ入り回頭餅。

スープ替わりのつもりで頼んだ酸菜炖肉は、細切りにしたザワークラウトのような発酵キャベツがスープをさっぱりしたものにしている。歯触りの良いキャベツと塊のまま煮込まれて柔らかくなった牛肉の組み合わせが絶妙。これも全部は食べられなかった。一人なら回頭餅か酸菜炖肉のどちらか一品で量的には充分だ。

肉の塊が入った酸菜炖肉。

「回頭餅」10元(約130円)、「酸菜炖肉」35元(約455円)、瓶ビール7元(約91円)の合計で52元(約676円)。

きつくなったお腹で清真美食街を奥(東)に入って行くと「宝石社区商業服務街」入口の前に出た。商店街入口でさきほどの獅子舞が被り物を外して一休みしていた。

商店街入口で一息入れる獅子舞。

宝石社区商業服務街。

清真美食街を離れて小西路に戻り中街を目指す。小西路を歩いていて見かけた古いビルの壁に「院内」「鉛字」「紙張」の文字が貼ってある。今でもこの建物の中で活字や印刷紙を扱っているのかな。
一階にそれらしい看板が掛かっている入口が見あたらなかったので素通りしてしまったが、覗いてみるべきだったか。

活字と紙を扱っていた建物。

小西街と西順城街の交差点まで来ると中街の入口に龍の門柱が立っている。古いものではなく薈華楼金店の龍の広告柱だ。
中街入口の右側には日本から進出しているヤマダ電機の大きな店がある。

薈華楼金店の龍の広告柱。

ヤマダ電機店に入ってみた。店員は全員が中国人。彼らの対応ぶりは中国の他の店では想像できないくらいに丁寧だ。相当な研修を積んで店に立っているのだろう。

このビル全部を使っているヤマダ電機瀋陽店。

さらに中街を東に往くと中国楽器店が並んでいる前を通った。未だ開店して間もないのだろう真新しい二胡の店「立升声琴行」があったので入ってみたが誰も出てこない。暫く店内に並んでいる二胡を見ていたが店内には誰もいないらしい。

中国楽器店が並ぶ。

隣の「中国古筝」に入ってみる。中国の琴が並んでいる。見るだけですと断って奧まで入れてもらった。並んでいる琴を見ながら聞かれるままに一人で日本から観光に来ているというと、劉垚さんが一曲、演奏してくれた。「女心情」という曲だそうだ。

劉垚さんの「女心情」。

「中国古筝」のオーナー氏と劉垚さん(中央)。

「中国古筝」店のオーナー氏と話をしていた客だと想っていた人に、今度は俺の店を見ていけと隣の二胡店「立升声琴行」に引っ張って行かれる。なんだ、そういうことだったのか、「中国古筝」店の客だと思っていた人は「立升声琴行」のオーナー王立さんだった。

「立升声琴行」店では「中国古筝」で琴を演奏してくれた劉垚さんと王立さんの二胡で「女心情」を合奏してくれた。

王立さんと劉垚さんによる「女心情」。

こういう歓迎は本当に嬉しい。彼らも演奏を楽しんでいるようだった。劉垚さん、王立さん達に何度もお礼を言って楽器店を出た。

中街から瀋陽路に出ようと抜け道をしていたら、途中で大舞台美食街の入り口にある劇場の前に出た。夜はライトアップされた赤い看板ばかりが目立つ場所だ。

「二人転」というのが何のことだか分からなかったが、調べてみたら黒竜江省や吉林省、遼寧省で広く行われている民間演芸のことだった。伴奏に合わせて女形と道化の二人が、踊り・歌う「二人転」が、今も瀋陽の人々に愛され続けているのが、この劇場の賑わい振りからも伝わってくる。

「二人転」は地方色豊かな民間芸能や民謡を歌ったのが始まりで、後に古典的な演目も取り入れるようなり、今日に至っている中国東北地方独自の演芸だ。近年、中国全土でその人気が高まっている。

趙本山という二人転の役者がその面白さを中国全土に広めたようで、北京でも上海でもホテルのTVで何度もその顔に出会っている。その人気振りの凄さは彼が唯一人、中国で自家用飛行機の所有者であることからも窺える。

大きな二人転の看板。

もう一つの看板に書かれている「北東大」の意味が分からず、帰国してから于暁光くんに訊いたら「二人転」を形容しているだけで「北東大二人転」、「東北地方の二人転」だと教えてくれた。「北東大」の下に並んでいる十二支の動物は二人転とは直接関係ないようだ。

「北東大」の下に十二支の動物。

この劇場は1908(清朝光緒34)年に「翠芳楼」あるいは「慶豊大舞台」の名前で「慶豊茶園」がこの地に開かれたのが始まり。1912年に「明卿大舞台」と改名され戯院(劇場)となった。1933(満州国・大同2)年には日本人・長橋栄一が劇場主になり「奉天大舞台」と改名、京劇、評劇(東北の地方劇)などを上演する。
1945年に「瀋陽大舞台」となり、文化大革命時には「瀋陽劇場」と改名したが直ぐに「瀋陽大舞台」に戻り、現在は「劉老根大舞台」となっている。

…と言うことで「劉老根大舞台」がこの大舞台の現在の正式名称だ。

「劉老根大舞台」の正面。

瀋陽路に入り瀋陽故宮の武功坊までくると流石にくたびれてきた。

武功坊(手前)と文徳坊。

ここを朝陽街で右に曲がればホテルだ。

朝陽街に出る手前の、今日は閉店したのかドアが閉まっている土産物店の前で女の子が葫芦絲(管が三本ある縦笛。雲南省の民族楽器)の練習をしている。
女の子の横で楽譜を見ながら指導していたお母さんらしい人に『上手ですね』と声をかけると、『この曲は未だ練習中でちゃんと吹けないんですよ。アリランを吹いてごらんなさい。』

葫芦絲のアリラン。

ホテルに向かって歩き始めた背後で、女の子が練習する笛の音が続いている。

今日は生演奏に縁がある日だった。

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