【5月6日(土)】タンロン城址
旧家保存館を後にハンバック(Hang Bac)通り、ハンボー(Hang Bo)通り、バットダン(Bat Dan)通りと抜けて旧市街西部を目指す。名前は変わっているがこの三本は一本道。
フゥンフン(Phuong Hung)通りに出る。通りの西側に戸を閉めた店が並んでいるがその上が鉄道の高架になっている。ここを列車が通るのを見たいものだ。
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上を鉄道が走る商店街。 |
1時はとっくに回っているが、街角の食堂では未だ大勢の人がランチタイムのようだ。
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この食堂は人気があるな。 |
クアドン(Cua Dong)通りをまたぐ先程の鉄道のガード下をくぐる。ずいぶん低いな。
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クアドン通りに架かる高架橋。 |
鉄道と並行して走るリーナムデー(Ly Nam De)通りを真っ直ぐ北に10分あまりゆく。前後を見渡しても他に歩いている人は一人もいない。左手の奥一体は軍の関連施設らしく近道をしようとしても通り抜けることができないので、やむなく直進を続ける。
突き当たりの大きなファンディンフン(Phan Dinh Phung)通りで左折、さらに10数分歩くと左手に古い赤煉瓦の正北門(バック・モン/Bac
Mon)が見えてくる。
この門は1805年に建てられたもので城を囲む第二城壁に造られた五つの門のうち現存する唯一の門。ファンディンフン通りに面しているので外からいつでも見ることができる。
この辺り一帯は11世紀から19世紀にかけて栄えたベトナム王朝の城(タンロン城)跡で今は軍関連の施設になっている。
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正北門。 |
門の左下に煉瓦が崩れているところがあるが、これは1882年に紅河(ホン河)に停泊するフランス軍の艦艇が撃った砲弾が当たってできた穴だという。
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フランス軍の砲弾痕。 |
正北門を通り越しホアンゼウ(Hoang Dieu)通りで左折。広い道路だ。左にタンロン城址の古い煉瓦塀を見ながらしばらくホアンゼウ通りを行くと右側に門の形をしたモニュメントが建っている。ガイドブックを見るとホーチミン廟の裏手に広がるハーディン広場(Quan
Ba Dinh)の東の外れのようだ。
このモニュメント、帰国してから調べてみたがベトナム語の資料しか見つからない。「ハノイ戦争記念碑」というらしい。モニュメントの真ん中、遙か向こうにホーチミン廟の屋根が小さく見える。
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ハーディン広場の東外れに建つハノイ戦争記念碑。 |
ハノイ戦争記念碑の真向かいにあたるタンロン城址の古い小さな門を、自転車に乗った現地の男女数名が入っていった。覗いてみると、門の裏側に詰め所がある。係員がこちらを見ながら手を振って入れという素振りを繰り返す。
門の周辺には何の表示も説明もない。とても史跡の入り口とは思えないが、ここがタンロン城址の入り口の一つだった。
入場無料だった。
後で気づいたことだが、北寄りにもう一カ所似たような入口があったのだが、見落としてしまった。
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どう見ても史跡の入口とは思えない古い門。 |
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入口の門の両側に置かれていた大砲。 |
タンロンを漢字で書くと「昇龍」。1010年に李太祖(リー・タイトー)がこの地に遷都してタンロンと名付けてから、1831年に都がフエに移るまでベトナム王朝の都だった。タンロン城址は旧ハノイ城跡として2010年8月にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
●タンロン城址の全景は「タンロン城址全景」を参考にしてください。
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入り口を入った所に置いてあった大太鼓。 |
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フランス風のこの建物、史跡の一部なのかどうかは不明。 |
◆以下のサイズの小さな5点の写真は現地で取り損なってしまい、「まろの逃避行」より拝借した。
まろさん、ありがとうございます。
敬天殿(Dien Kinh Thein)の楼閣として建てられたという後楼(Hau Lau)、フランス統治時代の復元だからなのか外壁が黄色い。
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後楼。 |
後楼と敬天殿の間の展示館のような青い建物が地下にシェルターを供えたシェルター館。
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シェルター館。 |
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シェルター館の会議室。 |
城址内の案内図ではこの地下のシェルターを"Shelter D67"呼んでいた。この地下シェルターが作られた年代は資料が見つからず不明だが、19世紀以降のフランス統治時代に作られたもので、ここにフランス軍の作戦司令部が置かれていた。
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シェルターへの階段。 |
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地下の作戦指令本部跡か? |
シェルター館と敬天殿の間にかまぼこ形の屋根をした三角が唐突に突き出ている。その場所から推測すると地下シェルターへの出入口ではないかと思われる。入口はコンクリートで塗り込めてあった。
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地下シェルターへの出入口か? |
地下シェルターの外部出入口付近の植え込みに柑橘系と思われる大きな実が生っていた。その木に"Citrus grandis Linn"と書かれた札が下がっていた。ザボンの仲間らしい。
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ザボンなら食べられるはず。 |
もう一本、見慣れない実の付け方をした木があった。幹から直接下がっている大きな実はジャック・フルーツ。
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幹からいきなりジャック・フルーツ。 |
敬天殿跡地の正面に回ると龍の石段がある。
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龍の石段と敬天殿跡に建つ軍司令部。 |
この石段の上が皇帝の宮殿があった場所とされているが、現在はフランス統治時代にフランス軍司令部が置かれていた建物が建っている。
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この石段で皇帝と臣下の居住空間が仕切られていた。 |
現在、敬天殿(Dien Kinh Thien)と言われている黄色い建物はフランス統治時代に建てられたもので、当時のフランス軍司令部が置かれていた建物。
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敬天殿。 |
敬天殿正面のドアが開いていたので入ってみた。磨き立てられたフローリング床を土足のまま歩くのはためらいがあったが、好奇心の方が強かった。落ち着いた会議室のような部屋の中央に、きらびやかな祭壇があったが誰を祀ってあるかは不明。
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敬天殿内部の祭壇。 |
敬天殿の両脇の展示館はに敬天殿跡から発掘された遺物が展示されている。
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展示館。 |
自由に中を見学することができる。この時は他に見学者は誰もおらず、ヒマそうな女性職員が二人、カウンターに頭をのせてウトウトしていた。
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展示館内部。 |
敬天殿の真向かいの綺麗なファサードを持った黄色い建物、城跡内の案内図では考古館と書かれていたが入館することはできなかった。
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考古館。 |
考古館の裏に回る。黒い煉瓦の壁が重々しい第一城壁の正門「端門(ドアン・モン/Doan Mon)」が建っている。
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端門。 |
門の横手にある石段を登って門の上に出る。フランス統治時代の復元なのか楼閣が黄色い。
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黄色い楼閣。 |
楼閣の中から狭い石段でもう一層上に上る。そこには小さな祭壇があり、その前に金庫が置いてあった。この金庫の存在理由は不明。
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小さな祭壇と金庫。 |
端門の南側に芝生が広がり、その向こうに赤い旗がひらめく塔が見える。ベトナム軍事歴史博物館に建つ旗塔だ。1805年から七年間かけて建てられた高さ33メートルの監視塔もタンロン城址の一部になっている。
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芝の広場とベトナム軍事歴史博物館。 |
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旗塔。 |
端門の外に出て芝の広場から端門を振り返る。敬天殿へのただ一つの門だったという端門、端門の「端」は端正の「端」だと思いたくなる。
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端正な姿をした端門。 |
タンロン城址を跡にディエンビエンフー(Dien Bien Phu)通りを下ってチャンティ(Trang Thi)通りに入る。
ディエンビエンフー通りがチャンティ通りに合流する直前で鉄道を越えたが、今度はガードをくぐるのではなく踏切をわたった。踏切と言っても警報機も遮断機もない。車もバイクも人もレールのあることを無視して渡っている。
廃線なのかと思ってレールを見るとレールの表面はズーッと先までピカピカに光っている。
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ディエンビエンフー通りの踏切。 |
踏切を渡った先で道がいくつにも分かれている。ガイドブックの地図とはおよそ様子が違う。どちらに進めば良いのか分からなくなってしまったが、何度か道を聞いてようやく進む方向を快復。
チャンティ通りを歩いていると思っていたら、昨日、空港から乗ったシャトルバスの終着点がある道路に出た。いつの間にか一本南側のハイバーチュン(Hai
Ba Trung)通りを歩いていた。
周囲に見覚えのあるニャーチュン(Nha Chung)通りに入って一安心。昨日も気になったハノイ大教会の手前にある手入れの行き届いた庭と曰くありげな黄色い建物は一体、何だろう?
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後日、ここが図書館だと教えてもらった。 |
汗びっしょりになってしまった。ホテルに戻ってシャワーを浴び、くたびれた足の疲れをとる。
せめてハロン湾一日ツアーくらいは確保しておきたいと思い、ハノイ大教会の裏手にあるとガイドブックに書いてある旅行代理店を捜しに出たが、移転したのか閉店したのか、それらしい店が見つからなかった。またしても当てが外れた。
ハノイ大教会前の広場を見ると地元の人が大勢集まっている。会堂の門も開いていて観光客が出入りしているので中を見学させてもらった。
会堂の中では土曜日の夕方礼拝をしている最中だった。外壁の痛みようは酷いが会堂の内部はそれほどの痛み方ではなく、ステンドグラスも外側からは想像できない見事さだった。
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見事なステンドグラス。 |
ハノイではカフェ・ツアーの老舗だという「リアル・ダーリン・カフェ」を探して,もう一度ホアンキエム湖の北の旧市街地に行く。ハンクアット(Hang
Quat)通りにある「リアル・ダーリン・カフェ」は直ぐに見つかった。
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リアル・ダーリン・カフェ。 |
店内奧のカウンターに座ると、直ぐに係の女性が『何処を見たいの?』というので、メモ書きにしておいた見学場所のリストを見せる。こちらの滞在期間と今日までに見学した場所を聞いた上で、いくつか提案してくれた。
ハロン湾(Vinh Ha Long)の一日ツアーを強く勧められた。バスツアーでガイド、湾での乗船料、ランチ付きで30USD(約2400円)。ホテルまで迎えに来るという。ハノイ市内の殆どの店や博物館・記念館は月曜日を定休日にしているから、月曜日にツアーに行ってはどうかと薦めてくれた。8月8日(月)のツアーを申し込んだ。
ハロン湾ツアーが気に入ったら香寺(フォーン寺/Chua Huong/Perfume Pagoda)のツアーを利用して欲しいと言われた。ハロン湾ツアーはこのツーリストの品質を見るためのトライアルということだ。簡単なツアー参加証を作りながらツアー料金は30USDで間違いないが、ツアー料金は25USDで5USDは手数料だが、それで好いかと確認してきた。ツアー先で他のツーリストから参加してきた人達とはよく料金情報を交換し合うので念を押してきたのかも知れない。
このツーリストは宿泊・食事もできるようだ。ここで晩飯を食べて行くことにする。
Com Rang Thit Lon (Fried Rice with Vegetable and Pork) 40,000VND(約160円)。Bia
Ha Noi 15,000VND(約60円)。食事は美味しかった。
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豚肉野菜炒めベトナム風炒飯。 |
ホテルの近く、リークオックスー(Ly Quoc Su)通りまで戻ってくると、季国師寺の門が開いていて道路に明かりが漏れている。中を覗くと制服姿の25人ほどの人達が座ってお経を上げていた。
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お勤めをする季国師寺の信者達。 |
ハノイ大教会の土曜礼拝といい季国寺の勤行といい、共産主義国ベトナム、ハノイの人達は信仰熱心だ。信教についてベトナム政府は何の規制もしていないように見える。
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