【8月10日(土)晴】ロレイ → プリア・コー
バンテアイ・スレイを後にして67号線を南下。
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67号線沿いの民家。 |
どの辺りまで来たのか、珍しくチャブさんが小さな土産物店に寄ると言う。
停まった所はパーム・シュガー工場、と言うより工房のような所だった。
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パーム・シュガー工場兼土産物売り店。 |
チャブさんが親しげに店の人と声を交わしているところを見ると、ここにはよく立ち寄るのだろう。
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パーム・ツリーの樹液を煮詰めている。 |
土産のパーム・シュガーは固形と粉末がある。店の人から舐めて見ろと言われて試したら甘過ぎ。
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固形と粉末のパーム・シュガー。 |
チャブさんは『何か買ってあげてくれ』とも言わないのだが、せっかくなのでパーム・ツリー製の小さなトレーを購入、US$2(¥220)。
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パーム・ツリーのトレー。 |
雨期に入っているというのに雨が少なく、道路も田畑も溜め池すらもカラカラで、土産物売り店を出る頃になると風が強くなり、トゥクトゥクの走る先はベージュ色の靄がかかったようになり、座席にいても目を開けていられない。
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強い風の中を往く。 |
チャブさんは稲作の出来をしきりに心配している。 ときどき、赤い土ホコリで覆われた道の左右を、頭に緑の帽子をのせたような背の高いニッパヤシの木が流れて行く。
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ニッパヤシの木。 |
◆ ロレイ(Lolei)
国道六号線沿いのロリュオス遺跡群の一つ、ロレイには11時に到着。
ロリュオスはクメール王朝(アンコール王朝)の都がアンコールに移るまで、今は亡き古代の都ハリハラーラヤ(現ロリュオス)が置かれていた地域で、シェムリアップから国道6号を東に13キロメートルほどの一帯を指す。
ロレイはクメールの王ヤショヴァルマン一世(在位925年 - 954)がシヴァ神および王家の祖先に捧げて893年に建立した寺院。ハリハラーラヤに建てられた最後の寺院で、今は干上がってしまった嘗てのバライ(Baray/人造湖)に浮かぶ島に建てられている。
寺院は四基の祠堂で構成されているが、修復工事中だった。
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修復が進む祠堂。 |
ここに観光客の姿は見られない。
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殆ど崩れてしまった右手前の祠堂。 |
境内の西隅にタイやラオスで見ると同じような様式の仏教寺院が建っていた。
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修復中の祠堂の向こうに建つ新しい寺院と仏塔。 |
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寺院の名前はワット・ロレイ。 |
国道六号線を渡ってプリア・コーへ。
◆ プリア・コー(Preah Ko)
寺名のプリア・コーは「聖なる牛」の意で、シヴァ神がのる白い聖牛ナンディンに由来する。
879年、ジャヤーヴァルマン二世(在位802 ‐ 850)をはじめ王族の祖先に捧げるために、インドラヴァルマン一世(在位877 - 889)によって造営された。ハリハラーラヤに建てられた最初の寺院。
入り口になる東塔門は崩落が進んで、寺院奥の三基の祠堂までなんとも風通しも見通しも好い。
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崩落が進む入り口の東塔門と三基の祠堂。 |
第一周壁と東楼門も崩れ去って跡形もないのは古い寺院の証し。
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第一周壁も東楼門は跡形もない。
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遠目からは三基に見えた基壇場の祠堂は前後に重なり合って六基だった。
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所々に白色の漆喰跡が残る祠堂。 |
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後列の三基。 |
前列左の祠堂には修復された偽扉が嵌め込まれていた他、削り取られたアバター、白漆喰の楣(まぐさ)のレリーフ、金剛力士像などのレリーフがクッキリと残されている。
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修復された偽扉。 |
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削取られたのはアバター。 |
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白漆喰の楣(まぐさ)のレリーフが見事に残っている。 |
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白漆喰の金剛力士像とレリーフ。 |
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金剛力像の上のレリーフも白漆喰。 |
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金剛力士像。 |
六基三列のそれぞれの祠堂に対応するように基壇の前に並んでいる三頭のナンディン。
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三頭のナンディン。 |
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基壇の上から参道を臨む。 |
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参道脇に建つ経蔵。 |
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