【4月29日(木)】内山書店旧址
実験中学校の前を通り過ぎて四川北路をさらに北に進むと道が二手に分かれる。右が山陰路だ。
交差点で地図を確かめると、内山書店跡地は丁度正面に見える中国工商銀行の辺りのようだ。
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内山書店跡は中国工商銀行の辺りらしいが…。 |
信号を渡ると銀行の壁に「内山書店」と彫られた記念碑が嵌め込まれているのが目に入った。ここがそうらしいのだが入り口が分からない。銀行に入って尋ねると2階が「内山書店旧址」になっているという。
「内山書店」は内山完造が1917年に上海で開いた書店で、当時上海で活躍していた左翼系作家の作品を数多く扱ったことでも知られている。そのためここに魯迅、郭沫若、欧陽、予倩、田漢など多くの文学者が集うところとなり、日本からも芥川龍之介、谷崎潤一郎、横光利一、林芙美子などの文学者が内山書店を尋ねるようになり、両国の文学者が交流を深める場所になったといわれている。
内山完造と魯迅との親交は、魯迅が1927年に本を買いに立ち寄ったのがきっかけだったそうで、その後、完造と魯迅の親交は深まってゆく。
1930年、中国自由運動大同盟などの社会運動に加わった魯迅が国民党当局に追われることとなり、内山完造がそんな魯迅を庇護したのは有名な話だ。
魯迅の死後、完造は魯迅文学賞を制定したり、魯迅全集の編集に関わる。その後、日中友好協会の設立に力を尽くしたが1959年に急逝した。遺体は上海の万国墓地に埋葬されているという。
東京神保町すずらん通りには1935年に完造の弟が開いた、中国関連の書籍を主に扱っている「内山書店」がある。
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完造と魯迅のレリーフがついた内山書店記念碑。 |
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1980年に上海市記念地に指定されいる。 |
銀行内の階段で2階に上がる。照明が落とされた記念旧址には写真パネルや資料が収められた陳列ケースが並んでいる。
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写真パネルや陳列ケースが並ぶ館内。 |
奥の部屋には魯迅と内山完造夫妻の大きな絵が掛かっている。一部で電気工事が行われていたが見学を止められることはなかった。
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魯迅の絵の前で昼寝をする電気工事関係者。 |
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館内に他に見学者はいなかった。 |
内山書店旧址の入館は無料。
書店旧址を出て山陰路をたどり、内山完造が国民党に追われる魯迅をかくまうために用意したという魯迅故居に向かう。
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