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  2010年5月:上海
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四川北路・海寧路・乍浦路武進路・乍浦路・新廣路

【5月2日(日)】四川北路・海寧路・乍浦路

朝8時過ぎ、朝食を摂ろうと散歩を兼ねて東宝興路を越え川公路まで行ってみたが、並んでいる小吃店は全部しまっていた。日曜日だからか。

しかたなく、海倫西路まで戻ってみるとやはり閉まっている店がある。楊海鯉さんの「来碗麺」も「百年老楊生煎王」も営業している。来碗麺に入っていったら中から調理人さんが『今、しまうところだ…。』というようなことを言いながら顔を出した。手を振りながら目の前の「生煎王」に行けという。生煎(4元、約56円)と百合葡萄冰凍緑豆湯(4元、約56円)で朝の腹ごしらえをする。

上海で小宮山さんから頂いたメールに『四川北路を南に下ると海寧路にぶつかる。その交差点の北東域は旧日本人街があったので、未だ当時の面影を残す街並みがあるかも知れない。』とあったので足を伸ばしてみることにした。

四川北路の歩道脇に立っている街路灯には生花の鉢が括り付けられている。上海万博を期に街の美化を推進しているようだ。一鉢一鉢、脚立を使って水をやるんだろうか?

街灯に括り付けられた生花。

白厦賓館からほど近い四川北路と東宝興路交差点の各角にはそれぞれ嘉杰国際広場(Jaje Plaza)、巴黎春天百貨店(Printemps)、凱鴻広場(Kaihong Plaza)、東宝百貨(写真なし)の大きな商業施設がある。

嘉杰国際広場(Jaje Plaza)。

嘉杰国際広場の向かい側が巴黎春天百貨店(Printemps)。

凱鴻広場(Kaihong Plaza)の入り口の上に「宝大祥青少年児童購物中心」とカラフルな文字で書いてある。昨日朝食に入った店で同席した小母さんの勤め先はここのことだろう。

巴黎春天百貨店の対角は凱鴻広場(Kaihong Plaza)。

あちらこちらの大きなビル前の歩道上には上海万博を祝う花壇が作られている。花は生花だ。



四川北路をさらに南下して邢家橋南路まで来ると角に大きな公園がある。四川北路公園だ。

四川北路公園。

公園内の木陰では近所の同好の人達だろうか、中国楽器の生伴奏で野外歌謡大会を開いていた。いずれの面々もノド自慢、なかにはマイクが回ってくるのを待ち遠しそうにしている人もいる。

野外歌謡大会。

四川北路と海寧路の交差点に建つアール・デコ様式のアパートのような建物がある。この建物に嵌め込まれた銘板に『陸謙受・呉景奇の設計で1932年に竣工』とあり、「中国銀行虹口支店」だったこと、今は上海市の優秀歴史建築に指定されていることが分かる。

中国銀行虹口支店ビル。
  • この界隈のことをウエブで調べていたら「井上@打浦橋@上海」さんの「旅行ブログ」にぶつかった。そこで2007年10月3日に撮影されたこの交差点のほぼ同じアングルの写真があるのを見つけ、ご本人から許可をいただいたのでここにその写真を転載する。そこには鉄道の鉄橋を思わせる歩道橋が架かっているのだ。それに「中国銀行虹口支店ビル」は嘗ての「東和ホテル」だと記されている。
写真提供:井上@打浦橋@上海さん

上の「中国銀行虹口支店ビル」の対角にも古い建物があるが近くまで行っても由緒が分からなかった。

由緒が分からないビル。

海寧路から乍浦路を左に入ると直ぐ左手に日本のお寺の門柱と屋根を連想させる建物を見つけた。門柱にお寺の雰囲気があり、中の建物の屋根も日本のお寺のような形をしている。周囲を探してみたがこの建物の由来を説明しているようなものは見つからなかった。

  • この頁をアップしてから、井上@打浦橋@上海さんからいただいた情報を元に、ウエブで調べたところ、1922年にここに建てられた日蓮宗の「本圀寺」跡であることが分かった。今は民家になっている。
ここが嘗ては「本圀寺」だった。
  • そして同じく井上@打浦橋@上海さんから『この赤煉瓦の建物は滬北会堂と言う教会の跡で日本YMCAも使っていたようだ。数年前までは幼稚園だったが今は、嘉中金旅館という旅館になっている。』とのご指摘をいただいた。

武進路が吴淞路にぶつかる手前にあった赤煉瓦の建物。

吴淞路を経由して四平路 → 九龍路と歩く。

九龍路では狭い路地裏に入り込んでしまったが旧日本人街らしい町並みは見つからない。路地裏で玄関前に建っている人に声をかけたら、戸を開けて家の中に向かって誰かを呼んでいる。出てきたのは娘さんらしいが英語で『何かお困りですか?』。

旧日本人街の跡がどの辺りにあるのか探して歩いているというと『ここにはないから、ここに行ってみなさい。』といって持っていた地図に印をつけてくれた。

吴淞路まで戻り、昆山路 → 乍浦路を左折。

吴淞路と海寧路の交差点歩道橋から見た海寧路の西方面。

吴淞路から昆山路に入り立派なキリスト教会に出会った。入り口横の壁に嵌め込まれた銘板には「景林堂」とあったが、何故か教会正面には金文字で「景霊堂」と記されていた。

「景霊堂」。銘板には「景林堂」とあった。

昆山路と乍浦路の交差点に建つ建物。曰くがありそうだが建物の周囲からは何も見つからなかった。

  • 井上@打浦橋@上海さんのサイトに張られていた「第36回上海歴史散歩コース案内図」によると「乍浦路245号住宅」と言うようだ。

乍浦路245号住宅。


豪華レストランが並ぶ武昌路にぶつかる手前の乍浦路。

乍浦路を武昌路まで行ってUターン。

さすがに腹が減ってきた。新疆穆斯林快餐庁(新疆ムスリム・ファースト・フード)の看板を見つけた。店の前に置いてあるカバブを焼く屋台から店員が声をかけてきたので入ってみる。

店員が声をかけてきた新疆穆斯林快餐庁。

店内は4人がけテーブルが5つ並ぶ小さな店だが清潔。メニューは写真付き・漢字表記で助かった。カバブが3本載っているナンを頼む。カバブは盤錦で食べたのと同じ味でGood。三本で9元(約126円)。ナンは分厚くて食べ応えがあった。3元(約40円)。

遅い昼食はこれだけ。12元(約165円)。


左が店長、右が声をかけてきた庫迪来提(コデラット)くん。

他に二組ほど客が入ってきたが店員とは非中国語(多分アラビア語系)で喋っていた。
愛想のいい庫迪来提(コデラット)くんと店長にさよならを言って乍浦路を引き返す。

四川北路 → 海寧路(交差点を左折)→ 乍浦路 → 武進路 → 吴淞路と歩いてみたが、結局、旧日本人街らしい町並みは見つからなかった。

井上@打浦橋@上海さんのホームページではこの頁で紹介している周辺を大変丹念にレポートしておられる。
ご本人からリンクの許可をいただいたので以下にそれらを紹介する。
上海・日本人租界散策2…西本願寺は
上海・日本人租界散策3…作家が潜んでいた地域
第36回上海歴史散歩・戦前の日本人居住区

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