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![]() 4月28日┃4月29日┃4月30日┃5月1日┃5月2日┃5月3日 5月4日┃5月5日┃5月6日┃5月7日┃5月8日┃5月9日┃地図 西湖飯店|美華書館跡|内山書店旧址|魯迅故居|南京東路 【4月29日(木)】美華書館跡 日本の近代活字史は本木昌造から説き起こされることが多いが、その本木昌造に活版印刷と活字を伝えたのが上海にあった美華書館(Meihua Shuguan)だ。その美華書館の跡地を探し出して尋ねてみるのが、今回上海に来た目的の一つ。頼りは小宮山博史さんが書かれた『日本語活字ものがたり――草創期の人と書体』(誠文堂新光社:2009年刊)。
『日本語活字ものがたり』の記述によればこの路地の奧が美華書館跡地になるという。
コーヒースタンド横の路地を入ってゆくと突き当たりで、門柱に「四川北路第一小学校」と掛かる門の前に出た。これが小学校の校門なのか、門を押してみたが開かない。
左手の通用口を開けると守衛室があり、中から訝しそうにこちらを見ている。右手には『日本語活字ものがたり』に掲載されている写真によく似た礼拝堂のような建物がある。
富吉堂の横を奥に入ってゆくと一番奥の開いている戸口の奥で人の気配がする。覗いてみると大きな調理設備が並び、白衣を着た人たちが忙しそうにしている、声をかけてると、ここは学校給食の厨房だと返事があった。
さらに富吉堂の奥に進み、横手に回ると、きれいに芝が貼られた四川北路第一小学校のグラウンドに出た。このグラウンドが美華書館印刷工場が建っていた跡地になるという(『日本語活字ものがたり』による)。このグラウンドに接して建っているのが「教育学院実験中学校」で、かつては「北部日本人学校」の校舎だった。
一通り見学させてもらい守衛所でお礼を言って、四川北路第一小学校前(コーヒースタンド横)の路地を四川北路に戻る。
四川北路に出てさらに50メートル程北に進むと実験中学校の入り口があった。
実験中学校校門前を過ぎてさらに北上、山陰路の辺りには魯迅と親交が深かった内山完造の内山書店跡があるはずだ。 |