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  2010年4月:上海
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西湖飯店美華書館跡内山書店旧址魯迅故居南京東路

【4月29日(木)】美華書館跡

日本の近代活字史は本木昌造から説き起こされることが多いが、その本木昌造に活版印刷と活字を伝えたのが上海にあった美華書館(Meihua Shuguan)だ。その美華書館の跡地を探し出して尋ねてみるのが、今回上海に来た目的の一つ。頼りは小宮山博史さんが書かれた『日本語活字ものがたり――草創期の人と書体』(誠文堂新光社:2009年刊)。

持参した『日本語活字ものがたり』を読み直していたら、美華書館跡地の手がかりとして四川北路(Sichuan Beilu)上にある横浜橋(Hengbin-qiao)の名前が出てくる。目印は「永安電影院(Yongan Dianyingyuan/永安映画館)」だ。

インターネット経由で予約した白厦賓館(Baisha Binguan)が偶然にも四川北路に面しており、しかも横浜橋の真横に建っている。その白厦賓館の並びにある西湖飯店(Xihu Fandian)で遅い朝食を済ませて外に出ると、四川北路を挟んで建つ真向かいのビルの壁に「海虹永安商厦(Haihong Yongan Shangsha)」とありビルの脇には細い露地も見える。

「海虹永安商厦」とビル横の路地。

『日本語活字ものがたり』の記述によればこの路地の奧が美華書館跡地になるという。

何かがあるようにも見えない路地を入ってみる。

突き当たりは四川北路第一小学校。

四川北路第一小学校の通用口を開けると守衛室があり、中から訝しそうにこちらを見ているのは守衛だろう。右手には『日本語活字ものがたり』に掲載されている写真によく似た礼拝堂のような建物がある。

持参した本を守衛に見せて、この建物の写真と学校周辺を撮影したいと申し出るが『不行!不行!』の一点張り。押し問答をしているところに礼拝堂横の小径から出てきた小学校の職員に守衛が一言二言。これで撮影がオッケーとなった。

この礼拝堂、『日本語活字ものがたり』によれば美華書館ゆかりの「旅滬広東富吉堂」と確認できたが、本に掲載されている写真よりも大分新しい。職員の話によれば上海万博に絡んで修復されたのだそうだ。

修復された富吉堂。

富吉堂の真向かいは牧師館跡。

富吉堂の一番奥は学校給食の厨房として使われていた。

富吉堂の奥に進み、横手に回るときれいに芝が貼られた四川北路第一小学校のグラウンドに出た。このグラウンドが美華書館印刷工場が建っていた跡地になるという(『日本語活字ものがたり』による)。

印刷工場跡地のグラウンドと富吉堂。

このグラウンドに接して建っているのが「教育学院実験中学校」で、かつては「北部日本人学校」の校舎だったそうだ。

中央の4階建てが「教育学院実験中学校」。

一通り見学させてもらい守衛所でお礼を言って四川北路第一小学校前の路地を四川北路に戻る。

四川北路第一小学校前の路地。

四川北路に出てさらに50m程北に進むと実験中学校の入り口があった。

とても学校の入り口とは思えない実験中学校校門。

門柱に「上海市虹口区教育学院実験中学校」の文字。

実験中学校校門前を過ぎてさらに北上、山陰路の辺りには魯迅と親交が深かった内山完造の内山書店跡があるはずだ。

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