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2018年4月:成都 4月26日┃4月27日┃4月28日┃4月29日┃4月30日 5月1日┃5月2日┃5月3日┃5月4日┃5月5日┃地図 天府広場│金沙遺址博物館(遺跡館)│金沙遺址博物館(陳列館)│鰍香│杜甫草堂 【4月29日(日)晴】杜甫草堂 ノンビリと昼食をとってから、来た時の道を逆に辿って地下鉄四号線の草堂北路站へ。
唐の詩聖・杜甫(712 - 770)は安禄山の乱(安禄山と史思明が起こした安史の乱)の影響を受け759年、甘粛省成県から成都に移り住む。翌年、成都西郊外の浣花渓のほとりに建てた草庵が杜甫草堂の始まり。
少し様子を見ていたが切符売場の前の人は減りそうもない。諦めて杜甫草堂の東隣にあるはずの四川博物館に行くことにする。
赤石の石組みを回って奥に進むと石碑が並ぶ遊歩道に出る。何となく様子がおかしいが先へ進むと、変わった石碑列に出会うも、周辺に説明無し。
10分ほど遊歩道を進むと、入口とかかれた標識があったのでさらに進む。真新しい石の太鼓橋を渡ると、と何と杜甫草堂と扁額が掛かった小さな門の前に出た。
暫くは人影も少ない静かな林の中を行く。
奥に進むほどに観光客の姿が増え、どちらにレンズをても向けても人人人……。
自撮り棒を振り回す人の数も多い。
杜甫草堂詩書画院美術館の北側にある大雅堂と杜甫像を見落として、浣花深処に回ってしまった。この辺がガイド無しのブッツケ観光たる所以でやむを得ないところ。
浣花深処から杜甫草堂詩書画院美術館の裏側の「草堂」と大書された「草堂影壁」の前へ。
花径の額から続く竹林と赤壁に挟まれた小径(花径)を武侯祠博物館では红墙夹道と呼んでいた。
浣花祠は唐時代の女傑・任浣花を祀った祠、何故、杜甫を祀る杜甫草堂の中にあるのかは以下を読むと分かる(百度百科より)。
唐時代の有名な女性で、剣南西川節度使の崔盱の妾。 唐の大歴3(768)年に崔盱が朝廷に入るも、瀘州の刺史・楊子琳が成都を攻撃、浣花夫人はこれに対抗してに兵を募り、成都を守り楊子琳を倒した。 朝廷は崔盱を冀国の役人に任じ、崔寧の名を贈る。同時に任(浣花夫人)は冀国の夫人に任命された。五代十国時代、浣花渓の畔に「聖夫人の祠」が建てられた。 清の光緒20(1894)年、浣花夫人祠の再建と彼女の像が造られる。 その後破壊されたが、1983年に修復されている。』
浣花祠を回ると盆景園。
盆景園の奥が水景主景点。
杜甫の寓居を再現した茅屋故居への途中に厳しい表情をした石像があったが、杜甫像だろう。
2008年5月に起きた四川大地震で崩れたという茅家故居も修復されている。
茅家故居の並びが工部祠。
杜甫には「検校工部員外郎」を勤めたことがあるため「杜工部」とも呼ばれる。そのため杜甫像を祀るこの建物は「工部祠」と呼ばれている。
工部祠に祀られている杜甫像は気のせいか微笑んでいるように見える。
工部祠に柴門が続く。
柴門の前が詩史堂。
詩史堂中には杜甫の胸像が飾ってある。
詩史堂に掛かる「詩聖著千秋」は朱徳が書いた対聯で、もう片方は「草堂留後世」、ただしこちらの写真は無し。
大廳を経て正門を出る。
草堂北路站から地下鉄でホテルまで戻る。 |