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  2018年4月:成都
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【4月29日(日)晴】杜甫草堂

ノンビリと昼食をとってから、来た時の道を逆に辿って地下鉄四号線の草堂北路站へ。
ここもガイドブックではバス利用となっている。

がしかし、駅の出口から草堂北路を1キロメートルほど南に歩くことになった。

杜甫草堂北門。

唐の詩聖・杜甫(712 - 770)は安禄山の乱(安禄山と史思明が起こした安史の乱)の影響を受け759年、甘粛省成県から成都に移り住む。翌年、成都西郊外の浣花渓のほとりに建てた草庵が杜甫草堂の始まり。
北宋時代(960 - 1127)になって草庵があった場所に祠堂が建てられ、徐々に規模が大きくなる。現在の建物群は1811(清の嘉慶16)年の補修工事による建物が元になっている。

杜甫草堂の北門は直ぐに分かったが、入場券売り場の周囲も入口の前も人で溢れている。

入場券売場の人だかり。

少し様子を見ていたが切符売場の前の人は減りそうもない。諦めて杜甫草堂の東隣にあるはずの四川博物館に行くことにする。

杜甫草堂北門の前の道、青華路を東へ。
一キロほど行くと右手にそれらしい屋根が見えてきたが、工事中のフェンスで囲まれていて様子がよく分からない。

工事中フェンスの間に四川博物館に通じる入り口があったので入って行くと、赤石の石組みの前に出た。

赤石の石組み。

赤石の石組みを回って奥に進むと石碑が並ぶ遊歩道に出る。何となく様子がおかしいが先へ進むと、変わった石碑列に出会うも、周辺に説明無し。

石碑列。

10分ほど遊歩道を進むと、入口とかかれた標識があったのでさらに進む。真新しい石の太鼓橋を渡ると、と何と杜甫草堂と扁額が掛かった小さな門の前に出た。

帰国してからインタネット上で見つけた地図とGoogle Mapで確認すると、どうやら四川博物院と浣花渓公園の間の遊歩道に入ってしまったようだ。
浣花渓公園の池に水は無く周囲も工事中でほじくり返されていた。石の太鼓橋は四川博物院と杜甫草堂を繋ぐ浣花渓に掛かる橋だった。

この間、先を急ぐ余り、一切写真を撮らなかったのは残念。

切符売場で『身分証を見せろ』みたいなことを言うのでパスポートを出したら、入場料は要らないという。

小さな門から杜甫草堂に入る。

未だ新しい「杜甫千詩碑」。

帰国してから見つけた案内図(案内図をクリックで拡大表示)。

暫くは人影も少ない静かな林の中を行く。

蘭園の二層櫓。

奥に進むほどに観光客の姿が増え、どちらにレンズをても向けても人人人……。

最上階まで登る元気が残っていなかった万佛楼。

自撮り棒を振り回す人の数も多い。
園内も複雑で案内図無しではどこに居るのか分からなくなってくる。
以下、写真は順に回ったわけでは無く、帰国してから入手した案内図を見ながら並べたもの。

門の外に出してもらって撮った南門。

南門の前に建つ照壁。照壁の裏が南門。

杜甫草堂詩書画院美術館。

杜甫草堂詩書画院美術館の北側にある大雅堂と杜甫像を見落として、浣花深処に回ってしまった。この辺がガイド無しのブッツケ観光たる所以でやむを得ないところ。

浣花深処。

浣花深処から杜甫草堂詩書画院美術館の裏側の「草堂」と大書された「草堂影壁」の前へ。

草堂影壁。名のある手だと思うのだが分からずじまいのまま。


花径額。

花径の額から続く竹林と赤壁に挟まれた小径(花径)を武侯祠博物館では红墙夹道と呼んでいた。

花径。右の赤壁に見えるのが浣花祠の門。

浣花祠は唐時代の女傑・任浣花を祀った祠、何故、杜甫を祀る杜甫草堂の中にあるのかは以下を読むと分かる(百度百科より)。

    『浣花夫人、姓は任、蜀(四川)の都・成都の人。
    唐時代の有名な女性で、剣南西川節度使の崔盱の妾。
    唐の大歴3(768)年に崔盱が朝廷に入るも、瀘州の刺史・楊子琳が成都を攻撃、浣花夫人はこれに対抗してに兵を募り、成都を守り楊子琳を倒した。
    朝廷は崔盱を冀国の役人に任じ、崔寧の名を贈る。同時に任(浣花夫人)は冀国の夫人に任命された。五代十国時代、浣花渓の畔に「聖夫人の祠」が建てられた。
    清の光緒20(1894)年、浣花夫人祠の再建と彼女の像が造られる。
    その後破壊されたが、1983年に修復されている。』
浣花祠の門。

浣花祠。

任浣花像。

浣花祠を回ると盆景園。

盆景園。

盆景園。

盆景園。

盆景園の奥が水景主景点。

水系主景点。

杜甫の寓居を再現した茅屋故居への途中に厳しい表情をした石像があったが、杜甫像だろう。

杜甫像。竹藪の向こうに茅家故居が見える。

2008年5月に起きた四川大地震で崩れたという茅家故居も修復されている。

茅屋故居。

茅家故居の並びが工部祠。

工部祠前の人込み。

杜甫には「検校工部員外郎」を勤めたことがあるため「杜工部」とも呼ばれる。そのため杜甫像を祀るこの建物は「工部祠」と呼ばれている。

工部祠。

工部祠に祀られている杜甫像は気のせいか微笑んでいるように見える。

工部祠内の杜甫像、好々爺然としている。

工部祠に柴門が続く。
柴門は杜甫が草堂を建てたときの庭に通じる門で、杜甫の詩に度々登場する。現在の柴門は後代に建てられたもの。

柴門。

柴門の前が詩史堂。
清の嘉慶16(1811)年、草堂修築時に命名された。
杜甫の詩作活動は唐代の全盛期から衰退時までを如実に現していることから、その詩に「詩史」の名が与えられている。詩史堂もその名に由来している。

詩史堂。

詩史堂中には杜甫の胸像が飾ってある。

詩史堂内の杜甫像。

詩史堂に掛かる「詩聖著千秋」は朱徳が書いた対聯で、もう片方は「草堂留後世」、ただしこちらの写真は無し。

朱徳の「詩聖著千秋」。

大廳を経て正門を出る。

地図がないので草堂北路の方角が分からない。門の前に建っていた若い警察官に尋ねるが要領を得ない。
道を尋ねて三人目でようやく確答を得たので杜甫草堂の塀に沿って北進、最初の北門の前に出た。

振出しに戻って北門。

草堂北路站から地下鉄でホテルまで戻る。
ホテルでもらった大ざっぱな市内地図が意外に役に立っている。
今日も咳が止まらない。

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