【5月1日(火)晴】琴台路・文化公園
明け方になると喉にに痰が絡んで眼が覚める日が続く。
ホテル前の地下道を利用したことがないので、朝食に出るときに下りてみた。
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ホテル前の地下道入り口。 |
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利用する人はあまりいないようだ。 |
中は閑散としている。
地下道は奥の方まで続いているようで、衣料品店のようなテナントも入っているようだが人影が全くない。
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地下道は奥まで続いているようだ。 |
階段を登ると出た思っていた出口とは違う所に出た。
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ここを出ると順城大街を渡っただけだった。 |
確認しながら戻ると、交差点の下を回っているわけでは無く、順城大街を渡るだけで蜀都大道を渡ることはできない地下道だった。
昨夜、開店時刻を訊いた交通路の春熙餃子で朝食にしようと出かけたら、開店しているのか未だ閉まっているのか分からない。
ドアを押したら開いたので店の奧に向かって『開店してますか?』『何処でも好きなところに座ってくれ』と怖そうな小母さんが奥から出てきた。
8時半を少し回ったところだが、他に客は誰も居ない。
水餃子の「豚肉芹菜」を頼む。一皿何個なのか分からず、怖そうな小母さんとああでも無いこおでも無い、「6元/両」の両はまさか二個であるはずはないし……。
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春熙餃子の店内。左奥が厨房。 |
最終的には10個と決まり、直ぐ出てくるのかと思ったら結構時間がかかっている。注文を受けてから包んで茹でているらしい。
小母ちゃん、ワザワザ厨房でタレを調合して持ってきてくれた。
『あんた何人?』とはストレートで珍しい質問だったが素直に『日本人』。
小母ちゃん手を出して握手の素振り。握ったら仕事中の濡れた手だった。
奧に向かって『日本人だって〜』珍しくないだろう……けど、そういえば、こちらに来て未だ一度も日本人とすれ違ったことが無いナ。
餃子は可も無し不可も無し、もう少し熱いとなお好かった。
ただし、小母ちゃんが砂糖を少し入れたタレは旨かった。10個12元(¥228)だが小銭の1元が無い。するとオヤジさんが11元(¥209)で好いよと言いながら外まで送ってくれた。
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豚肉芹菜餃子。 |
こちらで餃子を頼むときは数では無く粉の量で頼むと言うことを、春熙餃子を出てから思い出した。
天府広場站から地下鉄で通恵門站へ。
駅の外へ出ると、目の前の通恵門路の向こうに琴臺故径の赤い門が見える。
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琴臺故径入り口の門。 |
古い街並みを再現した琴臺故径は歩いてみると味気ない。
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琴臺故径。 |
門を入ったところに傘を差した馬車の像がある。
像の基部に「○○:唐亮龙宏李占阳蒋钢」「制作:陳鎮波」とあり、台座には「
銅車馬(漢、青銅) 」とあるがそれ以上のが謂われが分からない。
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銅車馬。 |
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なるほど中国的な佇まい。 |
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こちらも……。 |
琴臺故径の中程に龍の像があり台座に「龍形灯」と「漢、青銅」彫ってあるのが見える。
龍形灯の奥に見える建物は「変臉(へんれん)」を上演する「川劇」の劇場「蜀风雅韵」。
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龍形灯と蜀風雅韵。 |
龍形灯の前の駐車場の奥に文化公園への入り口がある。
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赤い提灯が下がる文化公園入り口。
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文化公園 園内図(園内図をクリックして拡大表示)。 |
門を入ると中島が浮く大きな池、支矶湖がある。池の水かさはずいぶん少ない。
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支矶湖。 |
公園の奥には烈士墓がある。
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「十二橋の烈士は永遠に不滅です」 |
1949年12月7日、中国人民解放軍による成都解放直前に成都十二橋虐殺と呼ぶ事件が起きた。この事件で中国共産党員14人、国民党革命委員会委員4人、中国民主連盟メンバー5人、周辺組織メンバー7人、その他6人の計36人が殺害されている。
この烈士墓は1950年1月に、これらの36人を烈士として慰霊するために設立されたもの。
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烈士墓。 |
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烈士像と烈士墓碑。 |
周囲は緑濃い公園になってそこここに市民が憩う姿が見える。
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烈士墓の周囲は緑の公園になっている。 |
文化公園内に併設されている遊園地に懐かしい遊具があった。
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昔懐かしい電気自動車。 |
文化公園を経由して青羊宮へ向かう。
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