【4月28日(土)晴】寛窄巷子(1)
4時に眼が覚めた。
外は未だ暗い。
喉が渇いたが水がないのでコンビニへ。
珈琲と水を買う。
コンビニエンス・ストア横の路地裏の奥に明るい一角がある。
行ってみると暗い看板に開心包子王とあった。
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開心包子王。 |
朝食用に饅頭を三個購入。15元(¥285)。
部屋に戻り、この万頭で朝食は終わり。
スターバックスの甘い珈琲が意外に合う。
6時になるも未だ暗い。
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小籠包のようだが饅頭だ。 |
昨日の寛搾巷子は人混みを見に行ったようだったので、今朝は早めに再訪する。
そろそろ慣れてきた地下鉄で通恵門へ。
8時を少し回ったところ、下同仁路で登校中の学生の列とすれ違う。高校生にも見えるけど、近くにある樹徳協進中学校があるのでそこの生徒達か。
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大柄だが中学生? |
再訪して正解。
先ずは
窄巷子から……
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人のいない朝の窄巷子。 |
昨日は建物の一つ一つまでに気が回らず、人の波にもまれて通り過ぎただけ。巷子の空気を楽しむなら早朝がベスト。
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石畳が濡れているようだが雨は降っていない。 |
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皮製品を売る店の看板。 |
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門の上に「瓦尓登」の文字が見えるが、Waldenに当てたらしい。 |
ここは清の康煕帝の時代に満蒙八旗とその家族達が暮らす一角だったことは既に述べた。
彼らは出かけるときに馬に乗る習慣があったために、家の前に「拴馬石」と呼ぶ馬繋を設けていた。
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拴馬石に繋がれた馬の像。 |
窄巷子にある「小洋楼」は屋根が中国式、建物が西洋式の中国と西洋の折衷建築物。
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小洋楼の門。 |
この建物にまつわる話として『1930年代、王という軍人がこの洋館を購入し、数年後、抗日戦線に参加するために四川を出る。妻子はこの建物で夫の帰りを待つが、夫は帰らぬ人となってしまう。』という秘話が残っている。
成都の若者達の多くがここで結婚式の記念写真を撮るのは、こんな秘話に惹かれてのことなのだろう。
門の左にある蓄音機のレリーフは王氏とその夫人の思い出につながるものなのだろう。門の右には王氏とその夫人と思われる姿が記されている。
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門の左右に掘られたレリーフ。 |
門にばかり気を取られて門の後ろに建つ小洋楼を撮り損なってしまった。
Amebaブログ上で見つけた "huilai" さんのブログから写真を拝借して以下に転載する。
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小洋楼(huilaiさんのAmebaブログより)。 |
寛窄巷子の古い建物は灰白色のレンガを積んでいるものが多い。
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朝日を受けて赤い灰白色レンガ屋。 |
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開店前のスターバックスも灰白色レンガ。 |
門の上の真鍮の看板は光っていて見えないが「大妙」と書かれている、ここは火鍋屋。
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光って読めないが門の上は「大妙」の看板。 |
門の奥に火鍋を並べて飾ってある。ここは名の知れた火鍋屋だがもちろん食事をすることはなかった。
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大妙の鍋のディスプレイ。 |
窄巷子の東の外れで、他県から来た中国人観光者の集合写真を撮ってあげようと申し出たら、お前も入れと引っ張り込まれてしまった。
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窄巷子の東端で。 |
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寛窄巷子東広場。 |
窄巷子から一本北の通りが寛巷子。
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寛巷子。 |
寛巷子に入って直ぐの左手に「寛巷子」と刻まれた扁額を掲げ門がある。門扉には文人と思われる像が描かれている。門柱に小さく「中餐」とあるが、扉の奥は中国料理店か。
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門前に下がる一対の赤提灯が中国料理店の印。 |
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寛巷子。 |
寛巷子の西の端までくると持参したガイドブックには載っていない地下鉄乗り場があった。4号線の寛窄巷子站だ。
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地下鉄4号線「寛窄巷子站」出入り口。 |
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地下鉄出入り口奥の壁に飾られた「寛窄」のレリーフ。 |
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