|
ホーム┃2018年┃成都(4月)│台南(8月)│台北(9月)│マカオ(10月)
2018年4月:成都
4月26日┃4月27日┃4月28日┃4月29日┃4月30日 5月1日┃5月2日┃5月3日┃5月4日┃5月5日┃地図 寛窄巷子(1)│寛窄巷子(2)│武侯祠博物館(1)│武侯祠博物館(2)│錦里 【4月28日(土)晴】武侯祠博物館(2) 「二問」から参道を真っすぐにを進むと「業紹高光」の扁額か掛かる漢昭烈廟の前に出る。ここが昭烈帝と謚(おくりな)された劉備の廟。
扁額の「業紹高光」は(劉備が)高祖(漢を開いた劉邦)や光武帝(後漢の初代皇帝である劉秀)の業を引き継いだ(紹)ことを表している。扁額の書は清の同治年間(1862 -- 1874)に成都将軍で四川の都督を務めた完顔崇石の手による。
漢昭烈廟の中央に祀られている劉備像は金色の衣装をまといユッタリ構えている。以下は像の説明版より。
漢昭烈廟には劉備とともに劉諶(りゅうしん)も祀られている。
孫の劉諶は劉備と共に漢昭烈廟に祀られているのに、子の劉禅は漢昭烈廟に祀られていない。これは歴史の評価の現われか。
この門の奥の「名垂宇宙」の扁額を掲げた建物に諸葛亮が祀られている。
武侯祠の正面、大きなガラス格子で仕切られた「静遠堂」の中から諸葛亮がこちらを見ている。
◆諸葛亮(161 -- 234)
諸葛亮の右側にその息子の諸葛瞻が祀られている。
そして諸葛亮の左手に祀られているのが諸葛尚。
さらに武候祠の奥に三義廟がある。
門の奥が「義重桃園」と扁額を掲げた三義廟。「義重桃園」は桃園の誓いで生まれた義は重い、ということを示している。
三義廟に入ると正面に大きな「神聖同臻」の額と、その下に祀られている劉備像。
◆劉備(161 -- 223)
◆関羽(?-- 219)
◆張飛(?-- 221)
三義廟から恵陵の南側に戻り三国陳列室の裏手にある堀の前に出る。
堀を挟んだ真向かいに黒い照壁が建っている。
照壁の裏に回ると劉備の陵墓「恵陵」への正面の門が隠れている。この小振りな門には「漢昭烈廟」ならぬ「漢照烈陵」の扁額か掛かっている。
門を潜ると両側に麒麟と馬の像が並ぶ、これも小ぢんまりとした参道に続く。
「千秋凛然」の扁額が掛かる門を潜る。
扁額の下を潜ると直ぐに灰白色の石積みでできた門があった。門の中央に「漢昭烈皇之?」の碑が嵌め込まれている。 最後の一文字は削られたようだ。
石積みの門を潜る。門を潜るとすぐ目の前に石垣の上とコンモリ盛られた劉備の陵「恵陵」がある。
門の内側、丁度「漢昭烈皇之?」の真裏の辺りに「漢昭烈之陵」と刻まれた碑が、石垣の前には鼎が置かれている。
円形の恵陵を一周。
「红墙夹道」を「中有漢家雲」と書かれた円形の門を出て、直ぐ並びにある「聴鸐苑」とも読める同じような門に入る。
「聴鸐苑」の門の中は盆栽園になっている。
盆栽園の奥まで行くと小さな出入り口があり、恵陵前の門(扁額「千秋凛然」の門)の横に出る。
恵陵と武将廊との間ににある 香叶軒に続く回廊が面白い。
軽量の北側にある孔明苑の門が閉まっていて、内部を見学することはできなかった。
孔明苑の更に北隣には「桃園」と刻んだ石碑が建っているが、もちろんここは劉備、関羽、張飛が義兄弟を誓った桃園ではない。
石碑の横にはズシリと良寛のある石像が三体並んでいる。 もちろん劉備、関羽、張飛の三人だ。
|