【5月4日(水)】瀋陽故宮 東路
東掖門をくぐるとパッと開けた東路に出る。
瀋陽故宮の中で最初に建造されたのが東路だ。建物の多くが努爾哈赤(ヌルハチ)の時代のもので、その代表が大政殿や十王亭だ。
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中央の大政殿と左右に並ぶ十王亭。 |
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中路の何処で撮ったか忘れた「努爾哈赤」像。 |
大政殿は東路の正殿で皇帝が鎮座した八角形の建物。その建築様式は北方騎馬民族の移動式テント(ゲル)を思わせる。
大政殿の建築様式は帳殿式と呼ばれるものだが、大草原における満州族のテント文化に端を発したその様式が、満州・漢・チベット・蒙古の文化を吸収し、その建築的な特徴を融合したものになっている。
ここは1644年に第三代皇帝・順治帝 によって中国統一に繋がる出兵令が発せられた所でもある。
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大政殿。 |
正面の二本の柱には入り口を守るように皇帝の象徴である金の龍が絡みついている。
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皇帝の象徴金の龍。 |
軒下にはチベット仏教建築の特色をもった獣面彫刻を見ることができる。斗栱も雲の形を現しているのかのようで大変に特徴的な形状をしている。
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軒下の獣面彫刻と斗栱。 |
正面から中を覗くと八角形をした台座の周囲に八本の柱が建ち、その中央に玉座がある。
玉座の上には、その一部しか見えないが乾隆帝の手によって「泰交景運」と記された扁額が架かっている。「泰交」というのは『王と臣下が親しく交わり、上下の風通し良く、心が一つである』という易経に由来する言葉だそうだ。
玉座の前、左右には対聯が見える。
右側の聯(上聯)には「神聖相承恍睹開國宏猷一心一德」、左側の聯(下聯)には「子孫是守長懐紹庭永祚卜世卜年」と書かれている。上聯は清王朝の過去の歴史を記したもの、下聯は清王朝の未来への決意を記したのである。
大意はそれぞれ『神聖な皇帝の位を受け継いできたが、国が建てられた時の遠大な志の下に、心を一つにしたのが目に浮かぶ』、『子孫はこの王朝を守り、業績を受け継いで永く王朝が続くことを願っている』となるか。
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玉座の扁額と対聯。 |
大政殿前には八旗制度を色濃く反映した北方騎馬民族の幕営(本陣)を思わせる十王亭が二列に配置されている。
八旗制度は1601年に努爾哈赤によって制定された制度で、八種類の旗の下に軍を統率し、民を治め、行政・経済・宗族を管理する制度であった。十王亭は軍政制度が建築に採り入れられた中国唯一の建築群で、八旗の各族を支配する王や大臣達が執務した場所で八旗亭と呼ばれることもある。
十王亭は大政殿から見て右手(右翼)に右翼王亭、正黄旗亭、正紅旗亭、鑲紅旗亭、鑲藍旗亭 が並び、左翼には左翼王亭、鑲黄旗亭、正白旗亭、鑲白旗亭、正藍旗亭が並んでいる。
●大政殿と十王亭の配置は故宮全景を参考にしてください。
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大政殿と十王亭右翼。 |
十王亭の裏を歩いていたら満州族の貸衣装を着た学生からカメラのシャッターを押してくれと声をかけられた。この帽子、何処かで見たことがある。北京のレストランでだった。
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右側の学生さん、帽子が落ちそう。 |
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大政殿前の広場と十王亭左翼。 |
十王亭の外れの左右に宮廷の儀式・典礼の際に音楽を演奏するための場所として奏楽亭が建っている。皇太極の即位後に中路の建物と一緒に建てられたもの。奏楽亭の間に見えるのが東大門で、門の外は直ぐに瀋陽路だ。
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奏楽亭(左)と東大門。 |
東路の東側の赤壁に沿って他所から移設されてきたと思われる文化財が数点陳列されている。
「安達礼の墓碑」の説明が亀のような動物の背に載っている石碑と、その右に建つ石塔の中間にあるので多分両方を指しているのだろう。その説明板には『1643年、太宗・皇太極が崩御したとき、近衛兵の安達礼は自ら進んで生きたまま帝の副葬となった。皇帝は彼の忠誠心を表彰して1654年に碑を建て、そこに自ら筆を執って碑文を書き第一級の栄誉をもってこれを顕彰した。この石碑は現在の北陵(昭稜)の赤壁西の外側で発見された。碑文は漢語と満州語とで書かれている。』とある。
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安達礼の墓碑。 |
「安達令の墓碑」の隣は「豫王府の壁」。
説明板には 『もとは瀋陽の豫の王府に建っていた。豫親王は努爾哈赤の15番目の王子で崇徳元(1636)年に碩親王に封せられた。豫王府跡は現在の瀋陽の中街北にあった。』とある。
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預王府の壁。 |
十王亭の王亭と旗亭の間に大砲が飾ってある。説明板には『清朝の鉄製大砲。アヘン戦争勃発後の道光21(1841)年に道光帝の命によって盛京(今の瀋陽)で鋳造され、海軍防衛力増強のために使われた。』とある。
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清朝の大砲。 |
十王亭の各亭には八旗制度の説明や当時の武器が展示されている。以下はその一つで部屋の左右に各正旗と鑲旗、甲冑が展示してある。
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正藍旗、正白旗、正黄旗、正紅旗と甲冑。 |
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鑲黄旗、鑲白旗、鑲紅旗、鑲藍旗と甲冑。 |
東路は皇太極(ホンタイジ)の時代になると特別な行事の時にしか使わなくなってしまったそうだ。
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