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  2011年5月:瀋陽
5月3日5月4日地図
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【5月4日(水)】瀋陽故宮

ホテルのフロントで言われたとおりホテル前の朝陽街を左に進み、最初の角を左に曲がるとそこは瀋陽路で北京の琉璃厰のような雰囲気の通りだ。この道の先に清王朝発祥の地とも言える瀋陽故宮(瀋陽故宮博物院)があるはずだ。

北京の琉璃厰に似た雰囲気の瀋陽路。

直ぐに赤い壁が見えてきた。瀋陽故宮の東端の壁だ。規模は小さいが北京の故宮の赤壁を想わせる。

赤壁の角に建っている下馬碑には左から満洲語・モンゴル語・チベット語・ウイグル語・漢語の五カ国語で『諸王以下官員はここに来たら馬から下りよ』と書かれている。

赤壁と角に建つ下馬碑。

下馬碑の五カ国語(一部)。

東大門の前にある公園でノンビリ時間を過ごす人達の後に八重桜のような花が咲いている。

東大門前の公園。

公園に咲いていた花。八重桜の一種だと思う。

陽射しが明るくなってきたら観光客がチラホラと朝陽街に姿を見せ始めた。

東大門。

朝陽街を遮るように立つ門が文徳坊。文徳坊の奧には対になる武功坊が建っている。

東大門の西側に立つ門は文徳坊。

文徳坊の扁額を見ると漢字の他に北京の雍和宮 (Yonghegong) の扁額で見たような文字が彫りつけてある。漢字の上に見えるのが満州文字で下がモンゴル文字か?

文徳坊の扁額。漢字の他に見えるのは満州文字とモンゴル文字?

文徳坊を入って振り返ると故宮を小型にしたような雰囲気が見える。

太廟正門と文徳坊。その奧に東大門が見える。

瀋陽故宮入り口の前を通り越して武功坊まで行って見る。

武功坊の中に見えるのが文徳坊。

こちらの扁額にも満州文字、漢字、モンゴル文字が見える。

西大門の横に嵌め込まれた二枚のプレート 。

入場券60元(約780円)、この界隈の日常生活費を考えるとずいぶん高額だ。観光シーズンなのに入場者がそれほど多くないのは数年前に中国のゴールデンウイークが短縮されたた影響だろう。

入場券売り場。

入場券はプリンター出力の素っ気ないものだった。

入場券を買ったら大清門から中に入る。

大清門。

満州文字と漢字で書かれた大清門扁額。

大清門を入ると直ぐ左手に「清瀋陽故宮 清朝の瀋陽故宮」と書かれた大きなステンレス製の案内板が立っている。中国語、英語と並んで少し怪しい部分もあるが日本語による説明もある。

三カ国語による説明板。

以下に日本語の部分を少し整理して書き出してみた。

瀋陽故宮は清の太祖・努爾哈赤(ヌルハチ)および太宗・皇太極(ホンタイジ)が北京に遷都する前に創建した宮殿で、清朝発祥の地とも言われている。創建は1625年。

清王朝が1644年に山海関を越えて北京に遷都してからは、第二の皇宮として皇帝の東方巡幸時の仮御所になった。瀋陽故宮は現存する二つの古代帝王宮殿建築群の内の一つとして、また満州族文化の特色が色濃く残された史跡として世界に知られている。

瀋陽故宮の敷地面積は六万平方メートルに達する。現存する古代建築は114基、宮殿建築群はその配置によって東路、中路、西路に分かれている。

東路には太祖・努爾哈赤(ヌルハチ)の時代に創建された大政殿と十王亭がある。中路は太宗・皇太極の時代に築かれた崇政殿、清寧宮、鳳凰楼からなり、両側には乾隆の時代に築かれた仮御所と大廟が建っている。西路には乾隆の時代に築かれた文溯閣と舞台がある。

瀋陽故宮は1926年から一般に公開され、1961年初めに中国の全国重点文物保護単位に指定されている。2004年にはユネスコの世界文化遺産に登録されている。

瀋陽故宮全体の配置は「故宮全景」を参考にしてください。

大清門を出ると正面に崇政殿が見える。

大清門を出ると中路だ。

中路から見学していこう。

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