【8月1日(土)】安楽街
晴れ。
6時起床。
宿泊した大連北方大酒店の設備はいささかくたびれているがシャワーのお湯の出は好い、大事なことだ。立地の良さ故か滞在中はずっと一目でそれと分かる中国人観光客の姿が多かった。
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部屋は北京のSolo IIより少し狭い。 |
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パソコン左横の浄水ボトルは有料。 |
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部屋の窓から見える小高い丘の塔は何? |
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フロントロビーとカウンター。 |
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一階には大連物産店がある(開店前)。 |
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一階ホール壁のエレベータ案内プレート。 |
エレベーターホールには「健康告知書」と書かれた紙が貼ってある。各階に張ってあるようだ。
健康告知書には……
『中国政府は甲型H1N1インフルエンザを乙類伝染病に指定し、甲型伝染病の予防と抑制に取り組んでいます。甲型H1N1インフルエンザ流行の予防および抑制は私達一人一人の共同責任です。
当ホテル滞在中に37.5℃以上の熱が出たり、インフルエンザの諸症状(鼻水、鼻づまり、喉の痛み、咳、頭痛、筋肉痛、嘔吐・下痢)が出たら速やかに当地の疾病予防検疫センターに連絡して診察を受けてください。』
みたいなことが書いてあった。
しかし、大連滞在中ホテル内でも市中でもマスクを着けている人に出会ったことはなかった。
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エレベータホールに張り出されている「健康告知書」。 |
7時頃朝食に降りてゆく。
テーブルに並ぶのは中国の食べ物だけ。野菜料理ばかりで肉は無し。
日本人客の利用もあるとウエッブサイトで見たが、それらしい人は最後の日まで見なかった。
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全て中国人客。とにかくかしましい。 |
食後はホテルの周りを歩いてみる。ホテルを外から見ると外壁の角に大きく「大江戸」とある。滞在中一度も利用しなかったがこのホテルに入っている日本料理店の看板だ。
横断歩道を渡る歩行者のマナーは北京オリンピック前の北京市内と同じ。信号や横断歩道の存在を全く気にせずにメインストリートの人民路を渡って行く。
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人民路と安楽街の交差点に建つ大連北方大酒店。 |
安楽街に入って直ぐ左の路地に人が溢れている。朝市だ。覗いてみると奥が深く買い物をする人達でごった返している。
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安楽街からは奧が見通せない朝市。 |
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洋梨売りの屋台。 |
朝市の中に入ってみると、野菜と果物、魚介類を商う人が多い。
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真ん中の籠はアンコウのようだ。 |
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鯉のように見えるけど海の魚じゃないのかな? |
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片言と身振りで聞いてみたらクラゲのようだ。 |
安楽街が天津街と名前を変える辺りで見つけた地元のコンビニエンスストア「双盛園便利店」。大連滞在中はずいぶんお世話になった。
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コンビニエンスストア「双盛園便利店」。 |
いつ立ち寄ってもこの小母さんが一人で店番をしている。何かと話しかけてくれるがなにぶんにも流暢な中国語で返事を仕切れない。
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何時行っても店番をしている「双盛園便利店」の小母さん。 |
「双盛園便利店」の棚で大亨印の山楂果茶(山査子ネクター)を見つけた。見かけはトマトジュースのようだがトマトジュースとは全く異なる飲み物で山査子のネクターだ。1本5元(約75円)
。北京ではよく買って飲んでいた。
劉丹さん、李春光さんにもと思って買ったが、後で聞いたら二人とも初めて見る飲み物だという。中国は広いからね。
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大亨印山楂果茶。 |
大連では北京よりもハングルの看板を目にする機会が多かった。それだけ韓国(北朝鮮)との交流があると言うことなのだろう。
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きれいな書体とは言えないハングルの看板。 |
天津街を進んで行くと民生街と交差するところで巨大ボトルに出くわした。奧の瓶に書かれている『最』の文字はキリンビールの中国での銘柄らしい。
丸い時計塔の左側は大きな再開発工事が進んでいた。
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巨大ボトルが立つ天津街。 |
再開発工事を囲むフェンスには「百年大連核心文化複合街区」、「100年前、既に(ここは)中心だった」とある。
マンションやショッピングセンターなどが予定されているようだ。
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再開発地を囲むフェンスの広告。 |
フェンスの隙間から工事の様子を覗いてみたら、なるほど一街区がそっくり掘り下げられていた。
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フェンスの中を覗いたらずいぶん大きな工事だ。 |
再開発工事現場の真向かいは地下に入り口がある「修竹民生衣貿市場」。衣料品マーケットだろう、入ってみた。
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地下鉄の駅がありそうな雰囲気だが大連には地下鉄はない。 |
「修竹民生衣貿市場」の中はガランとしていて薄暗く客の姿もない。衣料品を扱うテナントが奥の方まで並んでいた。
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「修竹民生衣貿市場」の内部。 |
9時にホテルに迎えに来るという劉さんを待つため、にここからホテルに引き返す。
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