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  2009年8月:大連
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中山広場周辺中山広場の建物路面電車

【8月3日(月)】中山広場周辺

晴れ。
6時起床。

自宅に電話すると義弟が2日早朝に亡くなったという。妹が起きたときにはすでにコト切れていたようだ。
袖ヶ浦に電話を入れると、心筋梗塞の薬をもらっていたが服用していなかったらしいと甥っ子の力ない声。義弟は釣り好きの健康自慢で頑固者だったからナ。

6日通夜、7日葬儀のつもりで準備を進めているという。メールをチェックすると我が実弟からも同様のメールが入っていた。

7時、朝食。

ホテルの前から安楽街に入り、道路の名前を確認しながら中山広場の北側一帯を歩いてみる。コースは、

安楽街→天津街→民生街→同興街→民康街→友好路→天津街→上海路→長江路→友好路→友好広場→中山路→同興街→民康街→中山広場→魯迅路→世紀街→人民路。

安楽街、天津街は途中、民生街にぶつかるところまではもう何度か来ているので民生街に出たところで左折する。

天津街を横切る民生街の先は中山広場。

とりあえず新華書店を目指して民生街を中山広場に向かい、同興街に出たところで右折する。同興街と民康街がぶつかる角に「雲南過橋米綿」の看板をつけた古い建物がある。同じ大きさの窓が並んでいるが嘗てはホテルだったのだろうか。

同興街と民康街の角に建つ古い建物。

「雲南過橋米綿」の古い建物の真向かいが新華書店。大連の地図帳を探しに入ってみたが手頃な地図帳が1種類しか無くそれも、おおざっぱな印象だったので購入を見送る。

突き当たりが「新華書店」。北京、上海にもある大書店だ。

新華書店を出て民康街を西に往き友好路に出る。

友好路にぶつかる辺りの民康街。奥は中山広場方面。

友好路からもう一度屋台が並んで賑やかな天津路に戻る。屋台を覗きながら歩いたが地方の民芸品や衣料品が多い。

天津路の一部は歩行者天国になっている。

天津街にあった有料トイレはコインを入れるとドアが開く。一番左は携帯電話屋。

天津街から上海路に入って左折し路面電車が走る長江路まで下りる。上海路もこの辺りは人通りがなくヒッソリしている。

長江路側から見た上海路。

長江路を渡れば旧ロシア人街の入り口「勝利橋」だ。こんなに近かったんだ。
長江路を大連駅に向かってワンブロック、といってもほんの10mほど行くと友好路、友好広場に向かう道だ。ここで左折して友好路を友好広場に向かう。

友好路。奧が友好広場。高い建物は新世界大百貨店。

窓辺で包子を作っている小さな店があった。店の名前は「鑫源馿肉館」。小さいが清潔そうな店だ。ちょうど昼時でもあるし入ってみた。

鑫源馿肉館。窓を覗くと包子を作っていた。

テーブルが3つしかない小さな店だが家族でやっているらしくみんな親切だ。

包子10個8元(約120円)、凱龍ビール600ml 3元(約45円)。包子は皮がしっかりしていて中には汁たっぷりの肉。親切でだろうが、醤油にみじん切りにしたニンニクをドサッと入れてくれたが、これはない方が良かった。計11元(約165円)のいいランチだった。

11元(約165円)のランチ。

店員が興味深げに聞いてきた。『韓国人?』『日本から来たんだよ。』『大連は好きか?』などなど片言の普通話が続く。

後から入ってきた客と目があったので離れた席で何度か乾杯。このお父さん、自分が頼んだ料理をつまめとしきりに勧めてくれる。一皿しかない料理、それに合流すると長くなりそうだ。『我吃飽了!』を連発して遠慮した。

左奧のお父さんと何度か「乾杯!」。

飛び込みで入った小さな食堂で気に入った食事ができたときの満足度は高い。

食後はそのまま友好路を友好広場まで進み、中山路を中山広場に向かって左折。同興街の角を左に折れる。

だんだん自分が中山広場を中心にしてどの辺りを歩いているのかが分かってきた。ひたすら街を見て歩くことの効用だ。

さっき寄った新華書店の前に出たので民康街に進路を変えて中山広場に向かって下りて行く。
民康街の外れに緑色の角柱が立っているが、これは郵便ポスト。

民康街の外れに立っていた郵便ポスト。奧は中山広場。

中山広場側から見た民康街。

中山広場に入り周囲の古い建物を撮影してから魯迅路に入ってみる。この道路、大きい割に走る車の数が少ない。
やがて旧満鉄本社ビル(現大連鉄道有限責任公司/大連満鉄旧跡陳列館)の前に出た。

旧満鉄本社ビル(左の建物)。

その真向かいに黄色い大きな看板「魅力的光酒吧(GLAMOUR BAR)」を見つけた。
近 づくとドアの前に掛けられたメニューに珈琲の文字が見える。ここまでずいぶん歩いてきたし一休みしようとドアを押した。奥からウエイター風の男の子が出てきたので営業しているのか尋ねると店内に招じ入れてくれた。

魅力的光酒吧(GLAMOUR BAR)。

店内は暗いが思いの外広くお洒落。カウンターの奧には酒の瓶が並び片隅には小さなステージ。夜はBarになるようだ。窓際の席に座ると先ほどのウエイター君がメニューを持ってきてくれた。
ここは日本じゃないのでグラスの水は出てこない。

バーカウンターと落ち着いた雰囲気の店内。

コロンビアコーヒーを注文、20元(約300円)。注文してからマメを挽いている。濃いがアクのない美味しいコーヒーだった。
ウエイター君がテーブルにコーヒーを置いてもなかなか離れて行かないので、『何か?』と声をかけたら話をしたかったらしい。直ぐに『日本人ですか?』かと聞いてきた。

相手になると、このウエイター君は「浪花」という日本料理店でアルバイトをしているという。名前は閻文輝くん。ここでの仕事は4時に終わるから是非一緒に「浪速」に行こうと熱心に誘ってくる。

奥から出てきた女性はこの店のマネージャー嬢、『Helenと言います。』だって。
ありがたい、閻くんのネイティブ普通話に疲れてきたところだ。Helenさんこと馬語辛さんにこの店の景気や客の様子を聞いてみた。客の多くはロシアや韓国から仕事できているビジネスマンでこの店の景気は悪くないという。

片隅に設けられたステージで毎晩演奏しているのはロシアのバンドではなくイギリスから来ているポップスバンドで、もう半年以上続いているなんて言うことも話してくれた。

話の途中で席を立った閻くんが『店のサービスです。』といって西瓜を出してくれたので遠慮無くいただく。
一杯のコーヒーとサービスの西瓜で4時まで、ずいぶん話し込んでしまった。
時間になった閻くんがどうしても「浪花」に連れて行きたいというのでついて行くことにする。

「魅力的光酒吧」のマネージャー馬語辛と閻文輝くん。

「浪花」まではいつもこの店から歩いて行くという閻の後について行く。
魯迅路→安楽街→杏林街→解放街を南にたどり、大連大学付属中山病院の大きな門の前を過ぎ七七街で右折。

「浪花」は七七街に入って直ぐの大連市血液センターの少し先にあった。

開店前の店内で冷たいお茶を頂いて経営者の黒田さんから飲食店で中国人に日本流のサービスを教え、そして育てることの難しさを聞きいた。店が開店する前に急な訪問をわびて早々に失礼しホテルまで歩いて戻る。

仕事を終えた劉さんが6時半頃に夕食を一緒にしようとホテルまで来てくれた。

この数年は中国中で四川料理が大流行、大連もご多分に洩れずで美味しい店があるという。タクシーが着いた先は朝暘街の「麻辣百分百」(中山区三八広場花香維也納西門/電話:0411-8270-5777)。

麻辣百分百(Mala 100%)の入り口。

鶏足のピリ辛酢味サラダ。トリの足、意外に柔らか。


空心菜の炒め物。

旅順口の「三世飯店」よりも大ぶりな黄魚。

鶏辛炒め。唐辛子をかき分けながら小さな鶏肉唐揚げをつまむ。

さて、他に何を注文しようと言いながら劉さん、メニューを見ながら携帯電話を取りだして何処かに電話を掛け始めた。

携帯電話を切って注文したのが下のジャガイモとベーコンの鍋炒め。携行燃料で暖めながら頂いたが見かけ以上の絶品。劉さんの電話相手が強く勧めた一品だ。

ジャガイモとベーコンの鍋炒め。見かけ以上に絶品。

この大きな店も9時には客がいなくなった。店員に閉店時間を聞いたら10時、大連は客が引くのが早いなぁ。時間までピリ辛を楽しむ。

ホテル前で一人下ろしてもらい劉さんはそのままタクシーで帰宅。

明日は劉丹さんから自宅に招待を受けた。旅順口見学でお世話になったご両親に再会できる。
今日もずいぶん歩いた一日だった。

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