【8月4日(火)】哈爾浜街・劉家
晴れ。
6時起床。
湯船に熱めの湯を張って足を浸ける。
昨日立ち寄った「魅力時光酒吧」の馬語辛さんにメールで写真を送ってから朝食に降りて行く。
朝食後は 11時まで写真の整理とメールの対応。
フロントから電話があり、この部屋に別の客を入れるので部屋を移って欲しいと言ってきた。
部屋を移れといっても荷物を全部パッキングしなおさなきゃならないんだぞ、こっちは一ヶ月も前に予約しているんだから、その客をこちらが移ることになる部屋に入れればいいじゃないか…。
少しごねてやった。それでも『お願いします』とだんだん小さくなる声で言うので渋々という感じで移ることに合意した。
昼近くなってベルボーイが手押し車を押して部屋の移動を手伝いに来た。
移った先は11階のスイートだった。少し眺めが良くなって少し広くなった。といっても窓からの眺めは前の部屋(9階)と変わらない風景だ。
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廊下に出るドアはこの写真の左にある。 |
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上の写真と同じ部屋。確かに寝室はドアで仕切られているけど… |
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狭い寝室。 |
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寝室からの景色は9階の部屋と同じ。
正面の丘に建つ塔、李くんが調べてくれたところよると気象観測施設らしい。 |
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設備が9階より古いバスルーム。 |
部屋を移動して荷物をほどいて、などとやっているうちに昼を回ってしまった。
あわてて旧日本人街を目指してホテルを出る。方角はガイドブックで確認済み。今日も歩こう、ということで世紀街に出る。
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世紀街の歩道。 |
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世紀街が魯迅路に合流する手前。奥に旧満鉄本社ビルが見える。 |
世紀街から魯迅路に出て右に進めば旧満鉄本社ビルや魅力的光酒吧だが、路面電車のレールに沿って左に折れ、魯迅路を渡って安陽街に入る。
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世紀街から魯迅路に出てきた路面電車。背後が中山広場方面。 |
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魯迅路から安陽街に入る。
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安陽街の歩道。 |
そろそろこの辺りと思われるところで路地から出てきた土地の人(50歳くらいの男性)に、『旧日本人街に行きたいのですが、どこにありますか?』と尋ねたら、その人が出てきた細い路地を指して『ここを行きなさい。』と教えてくれた。
旧日本人街と言うから期待していったが見るところ無し、というか廃墟が並ぶだけであちらこちらで取り壊し作業が進んでいて見るところなし。
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部屋毎に煙突があるこの洋館も無人。 |
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残っている建物よりも取り壊された建物の方が多い。 |
後で分かったことだが旧日本人街だと思って歩いた場所は哈爾浜路街(はるぴんがい)だった。
ここも確かに古い日本人家屋が残る場所としてガイドブックに紹介されていた。後日購入した大連地図帳を見たら旧日本人街はもう少し南に下がった楓林街にあるようだ。大連地図帳には楓林街の隣に括弧書きで「南山(日本)風情一条街」とある。
地元の人に聞けば大丈夫と道を尋ねたのが間違いだった。中国の地図には旧日本人街なんという道はないし、哈爾浜路にも楓林街にも確かに日本人が住んでいた家屋が残っているのだから、間違って教えられたわけではない。それにしても哈爾浜路の状況がひどかったのでガッカリ。
瓦礫の中、哈爾浜路を外れまで歩くと五五路にぶつかる。五五路を南山街まで来るときれいに整備された「児童公園」の前に出た。池は「明沢湖」だが湖と言うほど大きくない。
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児童公園と明沢湖。 |
旧日本人街が期待はずれだった(というより哈爾浜路にガッカリしたわけだが)ので一気にくたびれてきた。ホテルまで朝の道を戻る。途中、黄・緑・赤の布が舗道上に散乱しているのに出くわしたが、何だろう?
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歩道に散乱しているカラフルな布。 |
散乱している布をよく見ると何かの制服のようだ。同じような色の布を両腕一杯に抱えた人が出てきた建物を見るとレストランの看板があった。どうやらこのレストランで働く人たちの制服を洗って舗道で干しているようだ。
2時頃いったんホテルに戻りシャワーでリフレッシュ。そういえば昼食が未だだった。
新しいレストランを探すのも面倒だし友好路の包子をもう一度食べたかったので、昼時を大分過ぎていたが鑫源馿肉館に行ってみた。
二度目以降は馴染み客だ、包子を食べるかと向こうから聞いてきた。もちろん。包子10個8元(約120円)。それから壁の小さなホワイト・ボードに書いてある本日のサービス料理みたいなメニューから、爆炒馿肉を注文する。25元(約375円)。それに凱龍ビール3元(45円)。
包子だけでは足りないかもしれないと思って爆炒馿肉を頼んだが、出てきた皿には肉片がたっぷり、量が多い。
肉は硬いわけではないがシッカリした肉で確かに牛肉とは舌触りが違う。甘辛炒めで美味しいのだが量が多い。包子を完食した後なので1/3ほどは食べきれずに残してしまった。
馿肉の驢の字はロバという意味だよなぁ、ロバの肉なのかなぁ?
後で辞書で調べたらやっぱり馿は中国語でもロバのことだった。ボンヤリしていたがこの店の看板にチャンと「鑫源馿肉館」とあるではないか。ロバ肉は中国の東北地方では普通に食べられているらしい。
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爆炒驢肉(ロバ肉の炒め物)。 |
今回は知人から漢方薬を買って来てくれないかと頼まれてきている。
今まで歩いていて「葯」の看板を見つける度に頼まれてきた薬があるか聞いているが未だに見つかっていない。
昼食後、その漢方薬を探しながら天津路を歩く。ここで見つけた「葯」の看板を付けた比較的大きな薬局があった。店名の「海王星辰」は他でも見たことがある看板だ。
頼まれてきた薬があるか聞いてみた、10箱欲しいのだがと重ねて言うとしばらく待ってくれという。白衣を着た店員(薬剤師?)が電話をかけ始めた。この薬局はチェーン店らしく他の店舗に問い合わせているらしい。
『 ありました。』の返事と一緒に、また『もう少し待ってください。』だ。
若い女性店員があたふたと何処かに出ていったが見つかった薬を取りに行ったのだろう。
30分ほど待っただろうか、先ほどの女性店員が両腕に段ボール箱を抱えて戻ってきた。薬局の人たちには面倒を掛けてしまったが、これで頼まれてきた漢方薬をGet!
一箱10.8元、10箱で108元(約1,620円)。
今までは尋ねた薬が店にないと『ないよ!』で終わりか、探している薬とは違うものを出してきたものだが、30分も待たされたがこの薬局の対応が嬉しかった。同じ漢方薬を日本の通信販売で購入すると値段が8~9倍もするからナ。
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頼まれた漢方薬が見つかった「海王星辰」。 |
10箱も買った漢方薬はかさばるのでいったんホテルに戻る。荷物を置いて魯迅路の魅力的光酒吧でコーヒー・ブレーク。
昨夜、麻辣百分百で食事をしながら、劉丹さんから『ホテルまで迎えに行かなくても大丈夫ですか?』とずいぶん心配してくれたのだが『大丈夫、一人で行けますよ』と見得を切っている。
魅力的光酒吧で一休みした後、店の前でタクシーを捕まえ湾家村の「辛辛家園」まで行く。大連の西の方角だ。
乗り込んだタクシーの助手席には既に若い男が座っていて、しきりに運転手と話をしている。タクシーの見習いでも乗せているのかと思っていたが、興工街まで来ると料金を払って降りていった。相乗り客だった。
興工街で降りた客の代わりに新しい客を拾おうとこのタクシーくん、平気で車を流す。女性客を一人捕まえるとやっと走り出した。
湾家村まで乗ったのは自分だけ、メーターを無視して料金として25元だけ払う。タクシー君は何も言わずに受け取ったので渡し過ぎだったか?(後で劉さんに中山広場周辺から湾家村までのタクシー料金を聞くと、そんなものですよということだった。)
劉さん一家が住む辛辛家園(マンション団地)の中庭には約束の6時半丁度に着いた。
そこに『今日も緊急事態発生で帰宅が遅くなる』と劉さんから電話。少しその場で待っていてくれと言うのでベンチに座り、中庭で遊ぶ子供達の様子を眺めながら待っていると、奥の方からこちらに向かって手を振りながら近づいてくる人がいる。劉さんのお母さんが迎えに来てくれたのだ。
挨拶もそこそこに部屋に案内していただく。お母さんが入れてくれたお茶を飲みながら待つことしばし。
お父さんが帰宅したところでお母さん手作りの餃子がテーブルに並び、お父さんは大切にしていた白酒「釣魚臺」(Diao
Yu Tai)を開ける。
そうこうしているうちに劉丹さん、妹さんの劉穎さんも帰宅、テーブルに加わる。
白酒の銘柄「釣魚臺」といえば中国の国賓館(迎賓館)と同じ名前だ。
赤い箱には『賀 中華人民共和国建国五十周年 釣魚臺国賓館建館四十周年 特制』と金で箔押しがしてある(「特制」は原文のまま)。中華人民共和国建国五十周年と言えば10年前になる。劉さんのお父さんによれば、当時、お祝いとして政府の限られた関係者に配られた特別な白酒で、茅台酒を作るメーカーによるものだそうだ。
初めてお邪魔したのに、そんな記念すべき白酒を開けて頂いてただただ恐縮するばかりだった。
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白酒「釣魚臺」。 |
劉さん姉妹はそろって勤務先は違うがソフトウエア開発会社に勤めている。納品間近のバグフィックスや顧客からのオプションへの対応、人材確保などなど、若い女性とも思えない話題が尽きず時間が過ぎていった。
貴重な白酒も楽しい会話と手作り餃子の助けを借りていつの間にか空になってしまった。帰り際に書道家でもあるお父さんから作品集を2冊、サイン入りで頂いた。
深夜零時を過ぎたマンション正門からタクシーでホテルに戻る。
劉家の皆さん、今日はありがとうございました。
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