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  2007年3月:北京・盤錦
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【3月6日】 天津→北京→成田

狭い座席で熟睡する間もなくそろそろ天津に着くというので、鞄を引きずって降車口へ向かう。

車内は禁煙なのでデッキが喫煙室、デッキに出ると頭が痛くなるくらいタバコ臭い。降車口のガラス戸が厚く凍り付いている。

凍り付いた降車口のガラス。

天津到着午前2時30分。天津で下りる人は少なかった。列車を降りて最初に感じたのはここは磐錦ほど寒くないということだった。

ホームにはわずかに雪が残っていた。

隣のホームには夜明けを待っているのか空の列車が停車していた。

私たちが乗ってきた列車のプレート。

各ホームを結ぶ通路はだだっ広く薄暗く、改札口に向かう旅行鞄のキャスターがガラガラと賑やかに響く。皆疲れているのだろう口数少なく黙々と歩いている。

殺風景な通路を改札口に向かう。

改札を抜けて駅前に出る。

狭い駅前は客を待っていたタクシーのドライバーが客の奪い合い状態で、ドライバーが何処まで行くのかしつこくまとわりついてくる。

料金交渉した女性タクシードライバーとは決裂。

少し離れたところに停車していたタクシーを捕まえて馬さんの家まで10数分。

馬さんの家は5階。
ドアを開けると真っ先に小さな犬が小走りに出迎えてくれた。すでに電話で連絡が付いていたのだろう、お母さんもお父さんも起きて待っていてくれた。

シャワーを浴びて、午前4時、用意してくれた部屋で眠る。

午前7時起床。

馬さんのお母さんが用意してくれた朝食(名前は分からないがナチョを薄く焼いた卵焼きで包んだようなものと豆乳)で腹ごしらえをしていると、背の高い青年が玄関ドアを開けて入ってきた。

馬さんは友達とだけ紹介してくれた。于くんも初対面のようだ。

馬さんのお父さんが昨夜の内に頼んでくれていたようで、彼は自分のか親の車で私たちを北京国際空港まで送ってくれるために来てくれたのだった。

8時、何度も馬さんのご両親にお礼を言い一晩だったがお世話になった馬さんの家を出発。

馬さんの家のある一郭。

天津から北京まで高速道路でおおよそ2時間半、ハンドルを握る馬さんの友人は地図を見ることもなく車を進める。
ごくたまに馬さんと言葉を交わす口数の少ない青年だ。

高速道路の途中で見かけたパトカー。公安とあるのは日本でいう警察。

10時30分に北京国際空港に着く。

馬さんと車で空港まで送ってくれた友人くんは于くんと私を降ろすと直ぐに帰っていった。

于くんは遅い便で成田直行、私はインチョン空港経由。直ぐにチェックインして于くんとも別れる。
ここまで、実に長い二日間だった。お世話になった人達にきちんとお礼を言う時間もないくらい、あっという間の別れだった。

北京首都国際空港 12:00 発、KE852便
インチョン国際空港 14:50 定刻通りの到着。

北京空港 KE852便。

インチョン国際空港 18:40 発、KE705便。出発まで約4時間ある。

誰もいない搭乗待合い口のベンチで3時間ほど仮眠する。
残る時間で土産物を買い、パソコンを開いて写真を整理する。

インチョン空港の搭乗待ち合い口。閑散としているの時間帯のせい。

乗り継ぎ便が遅れているためと言うことで出発が30分ほど遅れたKE705便で9時過ぎに成田着。

京成スカイライナーで日暮里、常磐線に乗り換えて帰宅したら12時を回っていた。


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