【2月23日】 清渓川
カーテンを開けると空は真っ青。ホテルの窓から間近に見える山は北岳山なのか?
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韓国日報社の右側に見えるのは道峰山か? |
午前8時ロビー集合。昨夜と同じメンバーでヘジャンククを探して街に出る。ソウルに来て一番寒い朝になった。歩いていても手が冷たい。
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まだ人通りの少ない朝の清進洞近く。 |
店の前にTV番組で取り上げられた様子を紹介した看板を掲げている店があった。その看板ににつられて入ってみる。
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何処の国でもTV番組に取り上げられることはステータスになるようだ。 |
今朝のヘジャンククは昨日とは趣が異なり味噌が入っていない。味噌味がくどいというわけではないが薄い塩味でさっぱりとしていた。6,000Won。
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これも悪くはないが味噌味の方が自分の口にはに会っている。 |
10時にホテルロビーに再集合。本日帰国する日下さん、長田さんを全員で見送りKimさん、Lee Hoさんの迎えを待つ。
今日の夕方便で帰国する小宮山さんと劉さんともロビーで別れ、Kimさんが運転する車で鳥海さんとともにSandoll社に向かう。
フォントデザインルームで若いフォントデザイナー達と再会。再度記念写真に収まる。みんな素直で礼儀正しい若者達だ。
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フォントデザインルームで鳥海さんとともに記念写真に収まる。 |
Sandoll社の 社屋は現在、増改築中でうるさいので、仕事の打合せは外ですることになり、担当営業と通訳をしてくれるSangduk Kimさんともども近くの貸し会議室「TOZ」に移動する。
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「TOZの入り口ホール」。 |
打合せは11時から12時30分までみっちり行う。通訳をしてくれたSangdak Kimさんとはメールをやりとりしてきた仲だが今回が初対面で名刺を交換して初めて他事業部の人だと分かった。
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営業のKo Hyun-namさんとSangduk Kimさん。 |
会議の後は「TOZ」から歩いて数分の所にある韓定食レストランで1時から重いランチ。
家庭風韓定食だ。炊きあがった古代米(?)をボールに移して好みのトッピングを入れ、テンジャンチゲをかけるて食べる。
空になった石釜にはお湯を入れておき、食後にお焦げをはがしてお湯と一緒に食べる。これが昔からの食べ方だと教えられた。食べるものを粗末にしない気分が伝わってくる。
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空になった石釜にはお湯を注いでおく。 |
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焼き魚は日本ではイシモチ(グチ)と呼ばれる魚だ(と思う)。 |
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食後に出されたデザート。 |
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デザートと一緒に出されたオミジャチャは甘酸っぱくて口がさっぱりする。 |
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昼食に入ったレストランの入り口。 |
Sandoll社はソナムキルに面した閑静なところにある。近くにはソウル大学病院や昌慶宮がある。ソナムキルには所々に古い煉瓦造りの壁が残っている。
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ソナムキルにはまだ古い煉瓦造りの壁が残っている。 |
食後はSandoll社に戻りSeok社長、鳥海さんの三人で一時間ほど歓談。社長の部屋にチェロが置いてあるのが眼にとまり訪ねてみるとSeok社長が趣味で弾いているのだという。
その後はSonさん、Lee Hoさんの案内で鳥海さん共々ソウル市内に出て行く。
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韓国の救急車。 |
小宮正さん、日下さんが強く勧めていた国立中央博物館に行こうと市内ツアーバス乗り場に向かう。あいにくどの観光スポットも閉館時間を迎えていると言うことでバスに乗ることができなかった。
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ツアーバス停近くで見かけた白バイは日本の白バイに似ている。 |
博物館見学は明日に回すことにして市内ツアーバス乗り場の近くにある新聞博物館を見学する。新聞博物館は東亜日報社のビル内にある。
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中央左の高いビルが東亜日報社ビル。 |
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新聞博物館内部。 |
東亜日報社の真ん前は市の中心部を西から東に流れる清渓川(チョンゲチョン)がある。この川は2003年7月から2005年9月にかけて行われた清渓川の再生事業によるものだ。
2003年7月以前の同川は暗渠でその上を高速道路が走っていた。それを昔の川をよみがえらせようという清渓川復元事業によって高速道路が撤去され暗渠だった川が再生されて今日に至っている。
この清渓川復元事業は世界が注目する珍しい事業だったと伝えられている。
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清渓川が始まる地点には噴水がある。 |
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川沿いの遊歩道のタイル画。 |
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大きなタイル画は韓国の王族の行列を現わしている? |
清渓川の遊歩道を廣場市場まで歩く。今朝の寒さがずっと続いていて歩いていても手をポケットに入れたくなるくらい空気が冷たい。
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