ホーム┃2007年┃下田(1月)│5万キロ(1月)│ソウル(2月)│北京・盤錦(2月)│台北(3月)│北京(3月) ソウル(5月)│北京(6月)│北京(8月)│鞍山(8月)│盤錦(8月)│北京(8月)│ソウル(11月)│北京(11月) 2006年12月:下田 12月31日┃1月1日┃1月2日┃地図 【1月1日】玉泉寺 7時30分から1階フロント前ロビーで餅搗きが行なわれるというので下りてみた。薦められるままに搗きたてを醤油とワサビ海苔で食べたがワサビ海苔がカラシ大根とは違った味わいだった。
朝食はすまし汁の雑煮、ボタン海老とさよりの刺身とおせち料理。尾頭付きの鯛も出た。
食後は近くの史跡見学に出かける。
ホテルから爪木崎方面に5分ほど歩くと三島神社の前に出る。
三島神社の左手に保田龍門の手になる吉田松陰象が建っている。顔を下田港に向け両手で持った刀が異様に大きい。
吉田松陰象の後ろの崖には海底が隆起しできた「偽層」を見ることができる。
三島神社を過ぎて県道をさらに進むと玉泉寺入口が見えてくる。
石段を上ると山門の正面に本堂が見える。本堂の右手前には日本牛乳発祥の地を記念する大きなレリーフの石碑がある。碑にはハリスが体調を崩した時に牛の乳を調達したことが発端となり以後毎日玉泉寺に牛乳が届けられたとある。
本堂左手の木の前に白い立て札に日本最初の屠殺場跡とある。領事館職員の食料のため仏手柑樹に牛を繋いで屠殺したとある。後に土地の人達はこの木を屠牛木と呼んだそうだ。当時の木は枯れたためにハリス記念館に保存されている。
境内に併設されているハリス記念館の入場券を販売する売店の前にかかげられた「牛乳発祥の地で是非牛乳を」の看板につられで飲んだ瓶入り牛乳は子供の頃飲んだ味を思い出させるしっかりした風味の濃い味だった。この瓶入りと比べるといつも飲んでいるパック入りは牛乳じゃないナ。
ハリス記念館を見学してから記念館横の細い道を上って行くとロシアのディアナ号とアスコルド号の乗り組み員の墓所がある。1854年12月11日の安政大地震による大津波でロシア使節プチャーチンが率いるディアナ号が下田沖で大破しこの時に遭難した乗り組み員三人と、プチャーチンが1858年にアスコルド号で再来日した時に死亡した水兵一人がここに葬られている。日露和親条約に基づいての処置だったとかたわらの石碑にあった。
本堂の北側にあるペリー艦隊(黒船)の乗り組み員5名の墓地を撮影するのを忘れてしまった。
|