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  2006年4月:北京
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【4月9日(日)】琉璃厰

時計を見たら未だ5時30分。
起き出してシャワーを浴び昨日できなかった腰痛体操を汗ばんで来るまでやる。

パソコンの電源を入れて、昨夜は何度トライしてもアップロードできなかったblog用の写真をアップする。
カーテンを開けると今日もホコリっぽい空だ。

霧が出ているように見えるホコリ空。

8時に于くんに電話すると、ガサガサの寝起き声。一人で朝食に行く。
オーストラリアからのツアー客が大勢いた。

朝食から戻ってみるとパソコンの電源が落ちている。

朝食に行くときにパソコンの電源を切らずに部屋の電源を切ったことに気づいた。ひょっとしたらせっかく申し込んだインターネット接続は再申し込み? と心配しながらブラウザを起動してみると接続は継続していた。

師鋒(Shi Feng)くんに電話すると繋がった。

彼が保険会社に勤務していることは最近のメールで知ったがそれ以上のことは分からない。12日に逢う約束をする。昼までやり残したメールやI社のK社長への礼状を書く。

昼時も過ぎたので再度于くんに電話して、上海から合流する予定になっているBill Linさんに連絡を取ってもらったらホテルに着いたところだった。

三人で簡単な打合せをかねてランチに出る。

Billさんの勧めでホテル続きのショッピングセンター5階にある東北料理のレストラン小土豆(Xiaotudou)に行く。東北料理は于くんにとっては地元の料理なので気が進まないようだった。

小土豆は小さなジャガイモのことだと于くんが教えてくれた。

店内は2時になろうとするのにたくさん客がいる。

注文をとりに来たウエイトレスはモンゴル地方から出稼ぎに来ている劉敏(Liu Min)さん19歳、日本の同年代の女性に比べて数歳若く見える。于くんとのツーショットを喜んでくれた。

MONSというビールは北京でよく見るビールだった。

注文はBillさん、于くん任せ。

いつも思うことだが中国の人は台湾の人も含めてレストランで料理を注文する時に実にこまごまと材料や調理法のことを店の人に聞きながら、あるいは仲間としゃべりながら時間をかけて注文する。

豚の骨を煮込んだ料理でストローで髄を吸う。骨の周りに付いた肉も美味。

三枚肉と小さなジャガイモが入った于くんいうところのゴッタ煮も見かけ以上に美味。

他にトマトやトウモロコシなどの野菜スープや平皿のような形に麺を捲いたもの、トウモロコシの粉で作ったホットケーキじょうのものを頼んでくれた。

料理はどれも見かけは悪いが濃いめの味で美味しかった。
豚足の太い骨の髄をストローで吸い出すのは初体験だった。

料理を6品とビール2本で92元(1,350円)。

何時呼び出したのか北京在住の于くんの友人でビデオ制作会社の受け付けをしている吴迪(Wu Di)さんもランチに合流する。

于くんによると彼女の家族は回教(イスラム教)でかれらを中国では回族というそうだ。やはり豚肉は一切食べないという。

街中でモデルのスカウトから何度も声をかけられるというWuさん。

食後は若い彼らと別れてBillさんと二人、タクシーで琉璃厰(Liulichang)に行く。
一度Judithさんに連れてきてもらったことがある骨董街だが再訪となった。日曜日なのに観光客が少ない。

2008年の北京オリンピックに向けた道路整備なのだろうか?

景気も良くないようで輪タクがひっきりなしに乗らないかと誘ってくる。

骨董店の客引きの声も元気がない。冷やかしでいくつかの店に入ったがBillさんはプラスチックで作った骨董の精巧なレプリカが出回っていると小さな声で教えてくれた。

きれいに装飾加工された高さが6~7cmの小さな器をずっと香料か香水でも入れる器だと思っていたが、鼻烟壺(Biyanhu)というものでクシャミを起こす薬のようなものを入れる器だとこれもBillさんがおしえてくれた。

クシャミと言うのが気になってWebで検索してみたら嗅ぎタバコの容れ物(Sniff Bottle)だった。

琉璃厰には鼻烟壺を売る店がたくさんある。

筆や硯などの書道の用具を売る店も多いがたいていは奥まった所にあり何となくカビ臭い印象で、商売になっているのか心配になるほど客がいない。

表通りで見つけた筆屋さん。

前に来たときは輪タクに乗ったので土産物店の間にある路地に気づかなかった。古い趣の残る路地はまさしく胡同でそこは人の暮らす町でもあった。




なんだかひどく懐かしい光景だ。飾ってある絵は売り物なのか?

夜は于くん、Wuさんと三人で于くんの高校時代の友人達に会いに出かける。

待ち合わせ場所の東直門(Dongzhimen)交叉点(地下鉄東直門駅の上)までタクシーで行く。
昼間と同じ服装では辛いくらいの夜の冷え込みだ。友人達がなかなか来ないので地下鉄入口の中で待つことにした。

そこでエスカレーターで上ってくるS車の斉藤さんと出くわした。明日一緒にNITSを訪問する予定になっている人とこの広い北京で出会うとは…。奇跡に近いことだとは斉藤さんの驚きの言葉だった。

やっと友人達と合流、改めてタクシーで鬼街まで行く。

鬼街とは東直門内大街の辺りの別名だ。北京でもこの界隈だけが24時間営業している一番庶民的でディープなレストラン街だ。タクシー運転手相手の食堂街が鬼街の始りだという。

軒を列ねるレストランの前はそれぞれの店の呼び込みが大きな声で入店を誘う。中の一軒に入ったがそこの名物のエビの辣油炒め、羊の背骨の煮込み、羊肉の串焼きなどを食べた。

変わっていたのが彼ら若い中国人達のビールの注ぎ方で、ビールを次ぐ時は必ず相手のビール壜から注いでいる。ビール壜の持ち主が決まっているのだ。

聞くと、こうすれば自分が何本呑んだか分かっていいのだという。空になったビール壜はそれぞれの椅子の後ろに並べいた。

于くん、Wuさん、郭さん、顧さん、謝さん、張さんのオール20代に囲まれて。

郭さんは刑務所の刑務官、顧さんは郭さんのガールフレンドで高校の英語教師、謝さんは中国シェアNo. 1のMP3プレーヤーメーカー愛国者(ブランド名 aigo)の営業マン、張さんは謝さんのガールフレンドで旅行代理店のアレンジャー。

よく食べよく喋る明るい仲間達だった。

食後は于くんの友人達と分かれて前海(Qianhai)に移動する。

前海はその周囲にバーが500軒あるといわれている大きな池だ。
前海の畔のディスコ「甲丁坊」に入る。

何十年ぶりのディスコだろうか、それでも体がリズムに乗ることを覚えていて中国の若い人たちに交じってずいぶん汗をかいた。

音楽がラップなのが気に入らなかったが、これも初体験、まさか北京でラップに乗るとは…。 飲み物のビールはグラスがついてこない、ラッパ飲だ。

気がついたら時間は深夜の2時になっている。

タクシーでWuさんを家の前まで送る。
Wuさんは携帯電話で父親と口論しながら最後までつきあってくれた。


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