【5月3日(水)】関宿滑空場・SAF飛行クラブ
サイクリング日和ということで江戸川の土手を走る。陽射しは強いが風が冷たい。関宿の辺りで軽飛行機に曳航されたグライダーが頻繁に青空をよぎる。自転車を停めて仰ぐとあちらに1機こちらに1機ゆったり滑空している。
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上昇気流を求めて曳航機に引かれるグライダー。 |
関宿の江戸川河川敷きにNPO法人関宿滑空場があるのを知らなかった。土手を挟んで滑空場の反対側には「NPO法人関宿滑空場」の看板が掛かった格納庫が二棟、格納庫の前にもグライダーを格納した白いコンテナが並んでいる。
この滑空場はSAF飛行クラブ、京浜ソアリングクラブ、アサヒソアリングクラブや、東京理科大学、工学院大学、東京工業大学など大学の航空部と個人所有機が所属して活動している。
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新旧の格納庫が二棟並んでいる(7月16日撮影)。 |
土手を河川敷きに下りて行くと最初に出会ったSAF飛行クラブの関口さんが大変親切にいろいろと教えてくれた。機体はクラブの所有で会員の会費によって滑空場や格納庫、機体が維持されていると言う。
■SAF飛行クラブについて |
学生航空連盟(SAF)のOBが中心となり、朝から夕方までの訓練はしんどい、ノンビリとフライトを楽しみたいという人達(OBやその仲間達)が結成した学生航空連盟(SAF)の姉妹クラブで、NPO法人関宿滑空場を本拠地として活動を続けている。
以下に学生航空連盟(SAF)の概要と併せて簡単に紹させていただく。
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1952年2月 |
発足。読売新聞社は航空思想普及のため全日本学生航空連盟を結成。
その後、大学生、高校生の会員増加に伴い機構が強化され学生航空連盟と改称。二子玉川読売滑空場を練習場とし、当初は1機で活動していた。 |
1969年2月 |
二子玉川滑空場返還に伴い二子玉川での訓練終了。 |
1969年3月 |
会員の手作業で開墾された読売大利根滑空場オープン。 |
1991年2月 |
学航連モーターグライダークラブ発足、後にSAF飛行クラブと改称。
現在に至る。 |
SAF飛行クラブの中には飛ぶ機体によって『H32保存会』、『L33クラブ』、『ASW28クラブ』がある。H-36 Dimonaで飛んでいるグループには、元々SAF飛行クラブがこのメンバーを中心に結成された経緯があるため特にクラブ名はついていない。
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H-36 Dimona |
JA2407 |
モーター・グライダー(オーストリア ホフマン社 FRP製) |
H-32 |
JA2050 |
グライダー(日本 萩原滑空機製作所 木製鋼管羽布張り製) |
L-33 SOLO |
JA2515 |
グライダー(チェコ・スロバキア レット社 金属製) |
ASW28 |
JA28MN |
グライダー(ドイツ アレキサンダー・シュライハー社 FRP製) |
SAF飛行クラブ内・ASW28クラブが所有する単座のASW28 JA28MNは日本にも数機しかない最新鋭機だそうだ。こうしてグライダーを間近に見るのは初めてだが美しいシェイプをを見ているだけで心踊るものがある。
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単座の最新鋭機ASW28 JA28MN。 |
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JA28MNの操縦席にある計器類。 |
関口さんがASW28 JA28MNの操縦席に乗ってみてはと実に気軽に勧めてくれた。グライダーを特別なものと言う気持ちで見ていたので一寸遠慮する気持ちだったが、又とない機会だと思い操縦席に座らせていただいた。
操縦席の中は繭の中もきっとこんなではないかと思ったほど安らぎがあった。
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JA28MNの操縦席に座りこのまま飛び立ってゆく気分になった(関口さん撮影)。 |
関口さんはこの機体の写真は是が非でも撮影しておくようにと案内してくれた。
その機は荻原式H32 JA2050。荻原式H32は日本で唯一生産されたグライダーで1964年製。世界でこの一機しかない幻の機体だという。パイプフレームに布張り、一部にベニヤ板が使われている現役機でこの日も空に舞った。
H32は学生航空連盟の佐藤主任教官が設計・製作したものだと伺った。栗橋の近くにある読売大利根滑空場で活動する学生航空連盟(SAF)のホームページでH32の勇姿に会うことができる。
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日本で唯一生産された荻原式H32。 |
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H32の計器盤と操縦桿。 |
こうして関口さんから話しを聴いたり機体を見たりしている間もひっきりなしに曳航機(ロバンと言う小型機)とワイヤーに引かれたグライダーが飛び立ち、グライダーをリリースした曳航機が戻り、滑空を楽しんだグライダーが静かに滑走路に入ってくる。
機会を見てまた関宿滑空場を訪問する約束をして帰路に着く。
朝9時過ぎに出発して関宿で折り返し帰宅が午後4時過ぎだった。60km強は走っただろう、さすがにクタビレタ。
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