【5月12日(木)】白川・京都タワー
朝食前に旅館「祇園今吉」の周りを歩いてみた。
そろそろ7時になろうかと言う時刻だが未だ人通りはない。
祇園新門前通にある「祇園今吉」の数軒先に能と京舞の練習場がある。
京舞いの第一人者だった井上八千代さんが生前住んでいた所だと、ホテルから移動して来る時にタクシーの運転手が教えてくれた。
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能と京舞の練習場。 |
新門前通から縄手通(大和大路通)を回って一本南の通りが新橋通。縄手通からの新橋通は祇園新橋側からとは様子が違って見える。
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縄手通から見た新橋通。 |
さらに縄手通を下ると白川に架かる大和橋がある。
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白川に架かる大和橋。正面の人は偶然画面に入った知らない人。 |
何の変哲もない小さな橋だが、橋のたもとに設けられた説明板によると、かつてはもっとずっと大きな橋だったようだ。
白川はこの橋から80mほど西で鴨川に合流している。
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大和橋のたもとに設けられた説明板。 |
大和橋から見下ろした白川の水はきれいで大きな魚(鯉?)が群れて泳いでいた。
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白川に泳ぐ魚は鯉のようだ。 |
大和橋を渡らずに白川沿いに東に入る。白川南通は両側の新緑が朝の日受けて眼にしみる。
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大和橋たもとから見た白川南通。 |
白川南通に入り50mほど行くと植え込みの間に小さな橋がある。橋は料理旅館「白梅」の玄関に続いている。
川沿いに建つ低い瓦屋根の建物は東京では見られない風景だ。
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白川に架かる小さな橋の正面が料理旅館「白梅」の玄関。
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「白梅」の玄関に続く橋を過ぎると自然石に歌を刻んだ碑がある。
この歌碑は祇園をこよなく愛したという歌人吉井勇(1886-1960)の古希を祝って1955年に吉井の友人谷崎潤一郎らが建てたものだという。碑には吉井が祇園を詠んだ歌
かにかくに 祇園はこひし 寝るときも
枕のしたを 水のながるる
が刻まれている。
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歌人吉井勇の歌碑。
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毎年11月にはこの碑の前で「かにかくに祭」があり着飾った芸舞妓達が花を手向けて往時の歌人を偲ぶという。
歌碑を過ぎると巽橋、祇園新橋を経て花見小路へと抜ける。
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花見小路側から祇園新橋通りを見る。中央の欄干は祇園新橋。 |
花見小路を北に進んで最初の四つ角が別名「骨董街」と呼ばれる新門前通で、旅館を起点に一回りしたことになる。
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鉤の手に曲がる「骨董街」新門前通。旅館は角をまがった先、左手になる。 |
旅館で朝食をすませ9時30分過ぎにチェックアウト。
一緒にチェックアウトを待つ宿泊客の中に外国から来た人もいて小さな旅館の狭い帳場の前に国際観光都市京都を見た。
旅行鞄は旅館からの宅急便に任せ、呼んでもらったタクシーで京都駅に向かう。
手荷物をコインロッカーに入れて未だ一度も上ったことのない京都タワーに上る。朝は日が射していたのに急に崩れてタワーに上る頃は雨模様。
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京都タワーから見下ろした京都駅。 |
東本願寺は御影堂修復のため仮設の白い大屋根ですっぽりと覆われている。
東本願寺の真横の烏丸通は真直ぐ北に伸び折からの雨に先が霞んでいる。
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東本願寺と烏丸通。 |
東本願寺から眼を西に移すとこれも大きな仮屋根に覆わている西本願寺が見える。
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仮屋根に覆われた西本願寺。
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京都タワーの展望台は地上から100m。
この塔が駅前にできた当時は景観を損ねるとずいぶん批判されていたことを思い出す。
1997年(平成9年)に新装なった京都駅が古都京都に相応しくないという声が今もあると、これは旅館から京都駅までのタクシーの運転手の話。
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新しい京都駅の前でくすんだ印象の京都タワー。 |
初体験の京都タワーを下りて駅ビル内の伊勢丹でひと休みしてから新幹線ホームに向かう。
「のぞみ54号(京都駅発13時46分、東京着16時06分」で帰路に着く。5時過ぎに無事家に着いた。
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