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  2005年10月:萬満寺

【10月28日】萬満寺

JR常磐線馬橋駅東口から5分程の所に法王山萬満寺がある。寺の由緒書きには『当山は鎌倉時代の建長8年(1256年)に下総国守護職千葉頼胤が極楽寺の忍性=良観上人を招いて当地に大日寺を創建した時に始り、その後関東管領足利氏満が康暦元年(1379年)に夢想国士の高弟古天周誓和尚を招いて堂宇を建立し、時の将軍足利義満の満と氏満の満をとって萬満寺と改め、真言律宗から臨済宗に転じた。』とある。古い寺だ。

さらに由緒書きによれば『太田道灌、豊臣秀吉、徳川家康を初めとする歴代将軍の保護を受け70石の寺領を受ける朱印寺として栄えた』ようだ。広大だった寺領(一説には12,000坪あったという)も明治維新の廃仏毀釈による上地や戦後の農地解放で大半を失うこととなり、明治41年3月には寺近くを通る当時の成田線(現在の常磐線)蒸気機関車の煙火による火災で仁王門を残して全ての堂宇を焼失したが、昭和に入って本堂などの再建が進み今日に至っている。

旧水戸街道沿いに山門(桜門)が見える。

この日は年3回(正月三が日と三月と十月の27日から29日)ある祭礼の日で仁王門が開帳され「仁王さまの股くぐり」という珍しい行事が行われていた。

山門前では地元の農家が野菜の安売りをしていた。

山門を入ると屋台が出てお祭り気分を盛り上げていた。奥に見えるのが仁王門。

鎌倉時代、運慶作と伝わる金剛力士像のいる仁王門(慈雲閣)。

仁王さまの股くぐりは他山に例のない行事で、仁王像の股をくぐり抜けるとその年は病気にならず子供は丈夫に育つという。特に高血圧症や脳卒中などの中風には霊験があると伝わっており中気除不動尊ともいわれている。
仁王門の右に阿(あ)像、左に吽(うん)像が安置されており股くぐりは右の阿像でのみ行われる。

股くぐりが行われていた阿像(右)と吽像(左)。

山門右阿像の前の壁内側に額に入った仁王尊略縁起が掛けてあった。

萬満寺仁王尊略縁起

 鎌倉五代執権北条時頼公霊夢により仏師運慶に命じ仁王尊を彫刻 時に弘安四年蒙古軍勢襲来し国家危急の折柄、時の執権北条時宗公、極楽寺の忍性菩薩をして鎌倉稲村山に於いて仁王尊を安置して仁皇護国魔軍降伏祈願せしむ
 後に千葉頼胤公の願により当所に仁王尊を拝請し大日寺を建立し千葉家武運、災厄障を祈祷す、その後大日寺を千葉へ移転するが仁王尊は霊佛にして霊験新たかなるが故に尚当地に残置し、千葉氏胤公の時代 馬橋一ヶ村を寄進し寺名を萬満寺と改む
 仁王尊はその股をくぐれば病魔災難よけ特に小児の難病剱難にご利益ありと伝えられ、江戸期には疱瘡除けの仁王として近国近郷に聞こえ、江戸詰めの大名、旗本の代参なども盛んであった
 大正五年、帝室技芸員彫刻家高村光雲氏(作家高村光太郎の父)鑑定により国宝指定を受ける
 後に氏が長野、善光寺の仁王尊の彫刻の際、大いに参考にしたと言う
 昭和二十五年文化財法により重要文化財となる

法王山 萬満寺 記綱寮

かつての境内の広さは想像するべくもないが仁王門をくぐるとまだ新しい本堂が正面に見える。本尊はこの寺の創建以前藤原期の作と伝えられる阿弥陀如来像で太田道灌が奉納したものだと伝わっている。

年に3回の祭礼の日とあって参拝者が絶えない本堂。

この萬満寺は我が住まいから歩いてもわずか5分程の所にあるのだか、こちらに越して35年経つが今回初めて仁王尊と股くぐりを見た。