【7月18日】霞ヶ浦 歩崎
久しぶりに霞ヶ浦巡りを思い立つ。目指すは歩崎。
国道6号線は道路工事が多く、走りにくい幹線道路だったが最近は整備がすすんで随分走りやすくなって来た。今日走ってみたら藤代のバイパスも完成していた。
土浦市に入って直ぐ6号線から岩井に向かう道に入る。そのまま道なりにすすむと霞ヶ浦総合公園に出る。
大きな風車が目印だ。長い筧の水を受けてゆっくりと回っている水車の周りには大きく仕切られた水槽にいろいろな種類の蓮や水生植物が栽培されている。
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霞ヶ浦総合公園の風車と水車はどちらも動いていた。 |
今日は走っていても湿度の高い空気が体にまとわりついてくる。信号で停車するとヘルメットの中の湿度が一気に100%を超える。霞ヶ浦総合公園でペットボトルのミネラルウオーターを飲み干して歩崎に向かう。
土浦港をすぎて354号線を突っ切り、最初の交叉点、手野簡易便局前を右折、118号線に入る。
道幅は狭くなり片側にたっぷりと流れる細い水路が続く。ここはかつてボンネットバスに乗って揺られた道だ。
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細い水路が続くひっそりした道筋。 |
道の右側はずっと蓮の葉が覆っている。沖縮、有河、志戸崎と行けばその先はすぐに歩崎だ。今日も出会う車が無い。
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蓮の葉の向こうにかすかに湖面が見える。 |
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道の右側はずっと蓮の葉に覆われている。 |
崎浜に入ると左手にざらついた地肌に防空壕のような横穴が続いているのが見えて来る。
「史跡碕浜横穴古墳群」だ。ざらついた地肌に見えるのはカキ殻の層で霞ヶ浦町教育委員会の手で立てられた説明板に詳しい説明がある。
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カキ殻の層に掘られた横穴式古墳群。 |
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史跡 碕浜横穴古墳群
このカキ殻層に見られる横穴は、古墳時代の後期(約1,200~1,300年前)につくられた古墳で、現在までに十六基が確認されています。
古墳時代には、盛土した古墳が各地で築造され現在も残っています。後期になると、この横穴のように、あまり労力をかけず地盤の良い所に横穴を掘って墓としました。
内部は、正面のやや高い部分に副葬品を、左右の一段高い所に棺を安置しました。
この古墳の中には、正面のみに棺を安置したもの、また、正面と左右に三つの棺を安置したものなど、いろいろな形があり、調査の結果、非常に精巧にできていたことが判明しました。
この種の古墳は、県北には割合多く見られますが、県南では珍しいものです。
なおこの貝塚層は約三八~二四万年前この地が海底であったことを示す、地質学上も貴重なものです。
霞ヶ浦町 教育委員会
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横穴の一つに近づき中を覗くと風化が進んだ石仏が一体安置されていた。 |
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白くざらついた地肌はビッシリと積み重なったカキの殻だ。 |
説明板の右に雑草に覆われた細い道が古墳群の上に向かっている。上には何があるのだろう?
ブーツで上り難いが行けるところまで上ってみよう。
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バイクをおいて右手の小道を上ってみる。 |
途中で上りが少し急になるがすぐに開けたところに出た。なんと古墳群の上にも墓地があった。木立の切れ目からは霞ヶ浦が見える日当たりの良い明るい墓地だ。
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なんとも日当たりの良い明るい墓地だった。 |
碕浜の横穴古墳群を過ぎて有河に入り、右に大きくカーブすると右手に低いレンガ造りの煙突と白壁を備えた大きな屋根が目に飛び込んで来る。
この辺りに多い折本姓の一軒で100年程前まで醤油工場だったという。そういえば明治13年に帆引き船を考案した折本良平もこの近く二の宮の人だ。
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かつては醤油を作っていたという有河の折本家。 |
志戸崎は父の仕事の都合で中学2年の丸々1年間を過ごした所だ。
その中学校も今はなく細かな道筋もすっかり変わってしまったが、萬屋の「大黒屋」さん、牛渡の「綿引薬局」さんは今も営業を続けている。
父に連れられて初めて有河に向かった時は何歳の時だったか。
土浦港から船に乗った記憶がある。船が土浦駅前からのボンネットバスに変わり、湖岸沿いの今走って来た道をガタゴトと揺られた記憶もある。
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中志戸崎バス停前の大黒屋さん。 |
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牛渡の綿引薬局。 |
綿引薬局を過ぎると直ぐ右手に「水郷筑波国定公園歩崎園地」が広がる。
広い駐車場の奥に「かすみがうら市生産物直売所」がある。店内には昭和40年(1965年)頃まで盛んだった帆引き船の写真が飾られている。
帆引き船の写真を見ると湖面に点々と浮かぶ白い帆を見ながら過ごした一年間が思い出される。
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かすみがうら市生産物直売所。裏手は霞ヶ浦に、左は園地の池に続く。 |
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直売所を切り盛りする貝塚さん(左)と中泉さん。 |
ここに来るとイナゴとワカサギの佃煮を買うが他の観光土産店よりも安いのがいい。
時々車の疲れをとるかのように家族連れがバレーボールやサッカーをする青々した芝が店の右手に広がっている。
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湖岸から芝の広場越しに直販所を見る。 |
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大きな鯉群が泳ぐ歩崎園地の池。中央の銅像の奥に水族館がある。 |
直売所の裏に回って湖岸に出る。
湖岸の上はきれいに鋪装されており車が走れるようになっている。
何が釣れるのか湖岸に乗り入れた車の影に陽射しを避けながら釣り竿を何本も水面にかざしている人がいた。
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湖岸の上は鋪装されている。縁石の左側は自転車専用道路。 |
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CYANのMYSTを彷佛とさせる養殖場が湖上のあちらこちらに見える。 |
MYSTを思い起こさせる養殖場は今は利用されていないという。
鯉の養殖が行われていたそうだが鯉ヘルペスの発生を報道され、そのお陰で養殖はすっかり廃れてしまったそうだ。鯉ヘルペスは人間には全く無害なのに報道で騒がれて残念だとは「かすみがうら市生産物直売所」で耳にした話だ。
歩崎園地前の山の中に歩崎観音がある。
駐車場を出て田伏方面に向きすぐに細く暗い急な坂を上る。上りきったところに入口があるのだが気をつけないと見落としてしまう。
歩崎観音は宝性院歩崎山長禅寺といい本堂の真ん前に仁王門があり、門を抜けた境内の一番奧に霞ヶ浦を見渡す展望台がある。訪れる人も少ないのだろう、境内も周囲の設備も草ぼうぼうで小道は蜘蛛の巣だらけだった。
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見晴し台側から見た仁王門と境内。 |
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仁王門から見た本堂。 |
由来が書かれた説明板は伸びた雑草の影になって正確に読み取れないが『土屋相模様寄進の常等夜灯の前の…』で始る説明によれば霞ヶ浦の要所であるこの地に灯台が設けられたのが始まりとあるようだ。
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近づくことができない程の草に覆われた歩崎の由来説明板。 |
歩崎展望台に出る短い石段の左に紡錘形の石碑が建っている。
この界隈で撮影された東映映画『米』の撮影記念碑だ。有河の父方の親戚福田家の年上の従姉妹達がエキストラで出演していたことを思い出す。
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青い湖のほとりこゝに
芽ばえた米の一生と
それをめぐる人々の哀歓
を描き上げたこの映画は
昨年の四月から一カ年にわたる
育むものの愛と汗の
豊かな稔りでもあった
昭和三十二年八月十一日
久保田保人書 |
展望台から霞ヶ浦を見下ろすと養殖場が点々と見える。
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歩崎展望台から見た霞ヶ浦。 |
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展望台の直ぐ後ろ、木立に隠れるようにして立つ灯籠はかつての灯台のシンボルか。
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歩崎の辺りは風致地区にでも指定されているのか人の手が入っていない深い木立が湖岸に迫っている。
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湖岸から道路一本奥に入ると深い木立になる。
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歩崎からさらに東に田伏に向かうとその先に霞ヶ浦大橋がある。
今は有料だが今年の11月から無料になるとゲートで教えてくれた。ちなみにバイクの通行料は普通乗用車と同じ360円。橋を渡ると玉造に入る。
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田伏側から見た霞ヶ浦大橋。 |
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橋を渡ると玉造。 |
橋を渡ると直ぐ左手に「霞ヶ浦ふれあいランド」と道の駅「たまつくり」が併設されている。ちょうど昼時、道の駅「玉造」のレストランで1時間程昼食休憩にする。
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「霞ヶ浦ふれあいランド」とシンボルの「虹の塔」。
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帰路は霞ヶ浦の東湖岸沿いの355号線を佐原まで下り、佐原から利根川沿いに356号線を6号線にぶつかるまで走る。
帰宅は午後3時丁度だった。
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