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  2005年10月:潮来
地図

【10月2日】潮来・長勝寺

この日も単独バイク行。

霞ヶ浦歩崎に寄り、2005年11月から無料になる霞ヶ浦大橋を渡って霞ヶ浦東岸の355号線を南下する。
目的地は鹿島サッカースタジアムだったのだが、途中で潮来の標識が目に入り行き先変更。

11時半頃、日曜日なのに季節外れのせいかひっそりとしたあやめと水郷の町潮来に入る。見たところ観光客の姿はゼロ。
いきなり入り込んだ潮来なので下調べもしてこなければ案内図もない。たまたま入り込んだ川沿いの小道でバイクをおりて目の前に架かっている橋を渡ってみる。

橋を渡ったところで見つけた観光案内板によると渡った川は「前川」、橋は「思案橋」で渡った先は「前川あやめ公園」だった。季節ならあやめが咲きそろっているのに、今は刈り取られて短く残った株が乾いた畑に列を作っているだけ。ここも人影はない。

櫓舟乗り場の前に出ると「水郷筑波国定公園 潮来」の標識と橋幸夫の歌で一斉を風靡した「潮来笠」の歌碑と「伊太郎像」が並んでいた。

櫓舟乗り場(右手)の前に建つ標識と歌碑、伊太郎像。後ろは水雲橋とあやめ畑。

櫓舟乗り場は閉まっていたが舟の乗り場には出られたのでもやってある舟に降り立ってみる。小さな舟に乗るのは何年ぶりだろうか、揺れる足下が心もとない。

前川にかかる水雲橋と、その奥が思案橋。

水雲橋からは丸刈りになった前川あやめ園が見下ろせる。

川の両側には繋がれた舟が並ぶだけで水面を行く舟影はない。

思案橋から500m程の所に「海雲山 長勝寺」がある。禅寺だ。
少し傾いだ総門右手にはまだ新しい「長勝禅寺」と深く刻まれた白い石柱が建つ。

総門と白い石柱。

総門をくぐると左右の桜並木の正面に朱と緑に塗られた山門がある。桜門だ。
近づいて見ると左右の仁王が立っているはずの場所は空のままだ。

桜のトンネルの奥に建つ山門。

並木の中の一本はいわくありげな古木だが、側に建つ石碑の文字は読み取れない。

山門をくぐると、さらに桜の並木が続き、葉の間からは厚く大きな茅葺きの屋根がチラリチラリと見える。

花の時期には見事な花のトンネルの奥に仏殿が垣間見えることになる。

桜のトンネルを抜けたところが茅葺きの大きな屋根の仏殿で、前に建つと頭の上からウワッと迫って来る。

前に立つと大きさの割には頭上に迫ってくる仏殿。

仏殿の手前左手には源頼朝によるこの寺創建の時代にちなんだ「文治梅」と名付けられた古い木がある。

文治梅と何が書かれているのか読めなくなっている石碑。

仏殿の右側には鐘楼があり下がっている。鐘は傍らの説明板によると北条高時の寄進により元徳二年(1330年)に作られたものとある。

庫裡庭園。

鐘楼の左側に仏殿や鐘楼の佇まいにくらべるといささか貧弱な作りの由来書きが立てられている。

海 雲 山 長 勝 寺

 この寺は文治元年(1,185)源頼朝の開基、寺号を長勝寺と名づけた臨済宗妙心寺派の古刹である。
 元禄年間(1,688~1,704)伽藍の荒廃を惜しんだ徳川光圀は堂宇を修復し、妙心館長をつとめた参禅の師太嶽和尚を中興開山として迎えた。その後、徳川幕府から朱印十石並びに寺領地を与えられている。
 老杉林立する稲荷山を背景にした境内は参道も長く、阿弥陀三尊仏を本尊とする仏殿、山門はともに豊かな唐様建築の遺構で禅寺の風格を保ち、また中朱門の中の庫裡・書院等も元禄の建物で水戸家ゆかりの宝物を収蔵している。
 寺宝第一の古鐘は北条高時の寄進、元徳二年(1,330)の鋳造。中国から来朝して鎌倉円覚寺等に住した清拙和尚が由来を記し、鐘銘中に「客船夜泊常陸蘇城」の句をおき、中国蘇州を彷彿させる水郷潮来の異観を伝えている。
 境内の頼朝創建の年号に因んだ文治梅と称する古木のもとに俳聖芭蕉の旅人と我名呼ばむ初しぐれ、の一句を刻した時雨塚、鹿島紀行で地元の自準亭松江との交流を示す連句のいしぶみ等があって一段と風情を添える。

(中興十五世住職  谷 玄明)

  記
国指定重要文化財
 工芸品  銅鐘(附・鐘銘拓本一巻)
県指定文化財
 建造物  佛殿、山門、庫裡・書院等
 絵 画  太嶽和尚頂相
 彫 刻  木造阿弥陀如来像及び両脇侍像
 工芸品  高麗焼茶碗
町指定文化財
 絵 画  源頼朝画像、滝見観音龍虎図(三幅)
 書 跡  豊太閤手翰、白隠禅師書幅
 天然記念物  菩提樹
     昭和五十七年三月

潮来町教育委員会

文化財を大切にしましょう

仏殿右手に続く塀の門は開いており自由に入れるようだ。

仏殿に続く塀と小さな門。

塀の前には小振りな石碑とその奥に小さな立て札ががある。

寺の由緒書きよりこちらの立て札の方がきちんと作られている。立て札によると由緒書きにもある芭蕉の句碑のようだが、この句碑は文治梅のそばにあるのでは?

確かめたかったのだが辺りには寺の関係者らしい人が見当たらない。

立て札によるとこの石碑は『旅人と我名呼ばむ初しぐれ』の時雨塚だ。

塀に開いた門を入ると密度の高い庭だ。庫裡庭園だと言う。庫裡の玄関正面には金ぴかの福禄寿像が鎮座していた。

庫裡庭園。

庫裡玄関正面に祀られる福禄寿像。

12時も過ぎたので、総門下で井戸端会議(?)をしているらしい地元の人にこの界隈のお薦めの食堂はどこか聞いてみたら駅前で聞けという返事だった。

潮来駅はあやめ橋で前川を渡った左手にあった。

駅前の土産物売り場で再度同じことを聞いてみたが、これといった店が思い浮かばないようで、とんかつ屋とラーメン屋、日本蕎麦屋の場所を教えてくれた。

うなぎやでも教えてくれると思っ定たのだが思惑が外れてしまった。

「とんかつとん平」の看板が掛かる店でで少し遅い昼食をとる。
頼んだヒレカツは出て来るまでにずいぶん時間がかかったが立派で期待していなかった反作用が働いたのか大満足させてくれた。

とんかつ屋の前からJR鹿島線潮来駅前。

1時30分頃潮来を離れ、51号線で佐原を抜けて利根川沿いの356号線を我孫子まで走って6号線に合流、無事帰還。

今日は、緑の多いところを走っている時に金木犀の甘い香りがヘルメットの中をすり抜けてゆくことがあった。
もうそんな季節なんだ。


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