【5月11日(水)】大河内山荘
今朝も朝食は和食。昨日の朝とは違うメニューで出してくれた。
9時30分過ぎにホテルをチェックアウト。タクシーで今晩泊まることになっている旅館「祇園吉今」に向かう。
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ホテルのロビー。 |
「祇園吉今」はその名の通り祇園新門前通りにある小さな旅館だ。
荷物を預かってもらい今日の目的地嵐山に向かう。
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大きなホテルには無い佇まいの「祇園今吉」玄関。 |
阪急河原町駅で阪急京都線に乗り烏丸、大宮と二駅行く。
大宮で下車して「京福嵐山線」に乗り換える。四条大宮駅が「京福嵐山線」の始発駅だ。
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四条大宮駅に入って来る京福嵐山線車輌。ワンマン電車だった。 |
終点の嵐山駅には30分で到着。
嵐山駅舎が新しくなっていて2002年に来た頃とはすっかり様子が変わっていた。駅が光、木、水をテーマにした「はんなり・ほっこりスクエア」という土産物店を収めた建物になっている。
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改札口を出るとしゃれたベンチが並んでいる。 |
駅前の道を北に土産物店を覗きながら行く。陽射しが強い。
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駅前の道(清涼寺方面)。 |
道が山陰本線の踏切に差しかかる手前左手に「京都嵐山オルゴール博物館」がある。
2002年に来た時は休館日で見学できなかったので入ってみる。
世界最古のオルゴール(1976年アントア・ファブール作)やディスク式、シリンダー式の各種オルゴールだけでなくAutomataと呼ばれる数々の自動人形も展示されている。
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京都嵐山オルゴール博物館入口前。 |
オルゴール館を出て野々宮バス停横から小路に入り嵯峨野の竹林を大河内山荘に向かう。
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嵯峨野の竹林。 |
竹林が強い陽射しをさえぎり歩きやすい。
ところどころに伸び過ぎた竹の子を見つけながら深呼吸で黄緑色の竹葉の匂いを思いきり吸い込む。
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観光客の姿も少なく静かな嵯峨野の風情を楽しむことができた。
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大河内山荘は往年の名優、大河内傳次郎が34歳(昭和6年)から64歳で亡くなるまで、30年間という歳月をかけて完成させた庭園だ。入園料は抹茶・菓子付きで1,000円。
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大河内山荘入口前。
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うっそうとした中に建つチケット売り場の前をゆるい上りに従ってゆくと明るく開けた緑の小山の前に出た。
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小山の中に見える屋根は大乗閣。 |
小山の裾で庭木の手入れをしている若い職人さんを見かけたので、ずっと気になっていた京の山をまだらに覆う木のことを聞いてみた。 『ああ、それなら椎木の若葉でしょう。』と教えてくれた。案内板に従って園内一巡に向かう。
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中門をくぐった先が大乗閣。 |
大河内山荘の広さは2万平方メートル。
ここは映画スターの別荘ではなく大河内傳次郎がその生涯をかけた庭園創作の結晶だ。27才の時に関東大震災にあった大河内傳次郎はその頃からの念願であった御堂(持仏堂)を完成させて撮影の合間にここで瞑想したそうだ。
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大河内山荘初期の建物がこの御堂(持仏堂)。 |
見晴しの利く所に出た。案内板には京都市内と正面が比叡山とある。
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眼下の京都市内と正面の比叡山。 |
出口(といっても入口と同じだが)近くに遠慮がちに小さな大河内傳次郎記念館がある。傳次郎の年譜を始め映画「丹下左膳」や「国定忠治」のポスターなどが展示されている。
小山とは言え足下のよくない登り下りで疲れた足を抹茶亭で休める。抹茶と一緒にいただいた菓子は小さな角柱型の最中だった。
大河内山荘を出て亀山公園の中を下り保津川に出る。亀山公園を出た所は保津川下りの終点の船着き場の前だった。
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保津川と渡月橋。橋の向うが桂川になる。
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歩き続けたのでワラビ餅を食べながら一休みしようと探したが、どの店も時節がらか桜餅ばかりでワラビ餅は置いてないと言う。
嵐山駅の裏手でようやく見つけた茶店でワラビ餅で休憩することができた。
帰りは行きの途を逆にたどって5時頃宿に戻る。
通された部屋はこれが京間と言うのか何ともこじんまりとした部屋だったが、それはそれで落ち着いた気分にしてくれた。窓の外の竹林が京都市内に居ることを忘れさせてくれた。
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窓の外は小さな竹林。 |
部屋の小さな風呂で汗を流してからの夕食は、期待していなかっただけに十分に満足できる京料理だった。
どの料理も材料の風味を壊さずに手をかけて仕上げてある。
時節柄なのだろう、やはり竹の子を煮た料理が印象に残った。
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