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  2013年4月:台北
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【4月28日(日)】李梅樹記念館

ホテルのフロント・カウンター前に用意されるロールパンとコーヒーで毎朝の朝食を済ませている。26日の朝用意された茶葉蛋(煮玉子)には残念ながら以後お目にかかれていない。替わりにずっとミニ・トマト、贅沢ではないが一日のスタートを切るには十分な朝食だ。

ふかふかのバター・ロールパン、ミニ・トマト、挽き立て入れ立てのコーヒー。

MRT板南線の南端の終着駅「永寧」で下車、駅前からバスで三峡へ。

MRT板南線「永寧駅」前。

MRTの終点駅なので乗り継ぎバスの停留所はロータリーになっていると勝手に思い込んでいたが、思い込みは大外れ。目指すバス停が何処にあるのか分からない。

通りかかった男性に尋ねたら少し離れたバス停がそれだと教えてくれた。
初めての地でバスを利用するのは、目指す地に行くにはどのバスを利用すればいいのか、何というバス停で下車すればいいのか、運賃はいくらなのか、などなど心許ないことばかりだが、教えられたバス停の掲示を見て大安心。乗ればいいバスは直ぐに分かった。掲示を見て下車するバス停を確認、料金は悠遊カードでオッケー。

916番線、三峡站行きのバス停。

台北の公共交通機関を利用すると必ず「請勿飲食(飲食しないでください)」の注意喚起に出会うが、それだけ交通機関の中で飲食する人が多いのだろう。

バスの車内でも「請勿飲食」。

民生街が復興路と交叉する手前がバス停「三峡」、バスを降りるてさてどっちへ進もう。

民生街(手前から向こうへ)と復興路の交叉点。

復興路を渡った左側に「李梅樹文物館」があるはずなのに見つからない。漢方薬を売る店で「李梅樹文物館」を尋ねてみたが教えられた辺りにそれらしい標識が見当たらない。仕方なく「李梅樹記念館」へ向かうことにし、民生街から愛国路に入る。古い橋で渡る川が「三峡渓」で、渡る古い橋は日本人の手によって掛けられたという「三峡橋」。

三峡渓に掛かる三峡橋。

三峡橋が日本人によって掛けられたのだということは、李梅樹記念館の後で尋ねた李梅樹文物館の李館長が教えてくれた。

三峡橋から見た三峡渓下流方向。

三峡橋を渡ると深坑臭豆腐店の前に何台もスクーターが停めてあり、そこにいた地元の人と思しき四五名に声をかけてみた。
李梅樹記念館までの道を聞くと、説明が面倒になったらしくその内の一人が、スクーターの後ろに乗れと彼のスクーターまで引っ張って行かれた。
あまりにも申し訳ないし、さほどの距離でも無い、大体は分かったので歩いて行くからと、スクーター氏に丁寧にお礼を言って断る。

深坑臭豆腐店の看板が右端に見える。

教えられた通りに往くと直ぐに「りばいじゅけ」の看板が見つかった。高層住宅のフェンスにピンク色の垂れ幕が掛かり、そこに李梅樹の文字が見える。横の守衛室に尋ねると中に入るようにと腕を大きく振って奥を示された。

李梅樹記念館入り口。

入館料100NT$(330円)。
三峡の地が産んだ芸術家、東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科で学んだ台湾を代表する画家・李梅樹の業績を後世に伝えるために彼の遺族が設立した私設の記念館には、彼の代表作が多数展示されていた。
李梅樹については本人の言葉が残されている。

李梅樹記念会の展示。

「愛孫」と題された作品に見入っていると、一人職員が近づいて来て画中右端の幼児を指さし『これが私で李百真です。』伺うと李百真さんは李梅樹のお孫さんで、画中は中央が李百蕙さん、左が李百峯さんの三姉妹だと教えてくれた。

「愛孫」と李百真さん。

記念館を出るときに李梅樹文物館が見つからなかったと伝えると、三峡観光地図を持ってきてその場所を詳しく教えてくれた。さらに誰かに電話を掛け何やら話をした後で、電話を替われという。
受話器を受け取ると、受話器の向こうから予期していなかった達者な日本語で、30分ほど後で李梅樹文物館の入口で待っている、とのこと。
文物館の開館時間は午後2時から5時、今は未だ12時前なので館長に開館するように頼んでくれたのだった。

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