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  2009年4月:バンコク
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チャオ・プラヤ川ワット・プラケオ王宮ワット・ポーワット・アルン

【4月22日】ワット・ポー

ワット・プラケオの出口を出たところがナ・プラ・ラン(Na Phra Lan)通り。これを左にワット・プラケオの真っ白な壁に沿ってパワーボートを下りたTha Chang船着場方面に向かい、交差点でマハラト(Maharat通り)を左に折れる。ここからワット・ポーまで約1km足らず。

今までうっかりしていたが信号の無い大きめの交差点を渡るときに気づいた。タイの交通規則は日本と同じ『人は右・車は左』。大きな通りを歩いていてストレスが無いのはそのせいもあるようだ。

突き当たりの奥がTha Chang船着場。

Maharat通りの歩道上、木陰の下にはずっと露天商が並んでいる。身をかわさないと反対から歩いてくる人とすれ違うこともできないくらい人だかりがしている所もある。

Maharat通りの露天商。

ワット・ポーの手前、大きな市場の前で黄色い衣をまとった少年僧の一団とすれ違った。タイでは成人する前に一度は僧侶になるための修業をすると聞いた。通過儀礼の一種だろう。

市場の前ですれ違った少年僧達。

少年僧達とすれ違って直ぐ大根釈迦仏が安置されているワット・ポー(Wat Pho)が見えてきた。この寺院はタイ式マッサージの総本山としても知られている。

正面に見えるのが大寝釈迦仏が収まるお堂。

Maharat通りに面した小さな入り口からワット・ポーに入ると大寝釈迦仏殿の真横に出た。入り口に回って中に入ると『デカ!』
柱の間から金ピカの仏様が手枕をして横になっているのが見える。

手枕で一方をじっと見つめる大寝釈迦仏。

寝釈迦仏の全身がファインダーに入る場所を探して移動していたら、結局足下まで来てしまった。この仏様の大きさは高さが15m、長さが46mとガイドブックにある。

等間隔に立つ柱は全て彩色されている。

全身の写真はこの位置からしか撮れない。

足下に回り込むと足の裏は平らで黒く土踏まずがない。足裏が平らなのは螺鈿を施すためではなく、超人であることを示す32の身体的な特徴の一つとされている、とこれもガイドブックからの引用。

足の甲と裏。

高さ1.5m、幅が5mある足の裏にはバラモン教の宇宙観を表した108の螺鈿細工が施されている。

螺鈿細工の一つ。

何故とはなく後ろめたい思いを抱きながら仏様の背後に回った。当然だが後ろ側は味も素っ気もない。

寝釈迦仏の裏側。

味も素っ気もない根釈迦仏の後ろの廊下には真っ黒な器が窓際に一列に並んでいる。手前の端から一つ一つに小銭の賽銭を入れて行く若いカップルがいたのでそれと分かったのだが、托鉢に使う鉢のようだ。

窓の下に専用のスタンドで一列に並ぶ鉢。

後ろから見た寝釈迦仏の頭部。

大寝釈迦仏殿を出てもう少し寺院の奥まで入ってみた。寝釈迦仏の見学者は入ってこないのかヒッソリとしている。

見学者が殆どいなかった寺院の奥。

閉まっている売店を過ぎると仏塔が並ぶ所に出た。

仏塔を抜けるとタイ式屋根と入り口を持った回廊の前に出た。回廊の屋根も入り口の屋根も真新しいので修復されたばかりなのかも知らない。

タイ式屋根を持った回廊の外壁。

上の写真の入り口から回廊に入ると仏像が並んでいた。

回廊脇に一際大きな仏塔が四つ建っている。ラーマ1世から4世までの歴代の国王を表したものらしい。

左の青っぽいのがラーマ4世、右の赤っぽいのがラーマ3世の仏塔。

仏塔の表面はタイルや陶片で装飾されていて、とにかくキレイ。

ワット・ポーを出るときにここが有料だったことが分かった。入るときに通った門には入場券売り場もチェックする人もいなかった。前を往く人について入ってしまったが観光客用の門ではなく通用門だったらしい。後でガイドブックを見直したらワット・ポーの拝観料は50THB(約140円)だと書かれていた。さらに、ガイドブックにはワット・ポー内の配置図と一緒に次のような説明があった。

本堂にはラーマ1世の遺骨が納められており、本堂を囲む回廊は外回廊と内回廊がある。そしてこれらの回廊にはラーマ1世によってタイ北部の寺院から集められた400体近くの仏像が並べられている。さらに寺院の奥の方には実際にマッサージを受けることができるマッサージ場がある。

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