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2009年4月:バンコク 4月21日┃4月22日┃4月23日┃4月24日┃地図 チャオ・プラヤ川│ワット・プラケオ│王宮│ワット・ポー│ワット・アルン 【4月22日(水)】王宮 ワット・プラケオの南側で回廊の外に出ると、そこが王宮で王室に関連した施設が並んでいる。
アマリン・ウイニチャイ殿に沿って東に進むと刈り込まれた庭木が日本庭園を思わせる広場に出る。王宮の中心的な建物、ラーマ5世によって建てられたチャクリー・マハー・プラサート殿がその奧に建っている。この宮殿はイタリア人の設計によるものだと言う。
チャクリー・マハー・プラサート殿の衛兵交代にぶつかった。周囲をカメラを構えた観光客が囲んだが、ソウルのキョンボックンの衛兵交代のようにショーアップされたものではなく、素朴な交代セレモニーだった。
アポーン・ピモーク館横の門の先が、ラーマ1世によって建てられたドゥースィット・マハー・プラサート殿で、王族の葬儀などに利用される宮殿だそうだ。
ドゥースィット・マハー・プラサート殿の屋根の先端にはタイ寺院建築に特徴的なチョーファーが付いている。屋根の縁に並ぶ奇妙な形は手、屋根の中央で手を広げているのはガルーダのようだ。
一通り見終わった所で休憩所の石床に寝転がり一休み。声をかけてきた上海のレディ達はコロコロとわけもなくよく笑う人達だった。『何処から来たんだ?』 『友達は何処にいる?』と矢継ぎ早の質問に、からかわれている気分になったが彼女たちの明るい笑顔に悪気はない。
強い陽射しの下でさすがに喉も渇き、くたびれた。出口に向かう途中の真っ白なコーヒー・ハウスでザックをおろしコーラで休憩。店内は外観ほどお洒落な店ではなかった。
コーヒーハウスの横に古い大砲が陳列してあった。
ワット・プラケオを出てチャオ・プラヤ川に沿ったマハラット(Maharat)通りを、未だ一度も行ったことがないワットポー(Wat Pho)に向かう。 |