【8月24日(月)】静園
北京南駅から天津駅まで30分。
文字通りあっと言う間に着いてしまった。
この駅は北京オリンピック開催に合わせて改修、というより造り直された新駅だ。
確認できなかったが「京津城際鉄路」(新幹線)と同じ日に営業を開始しているんじゃなかろうか。
ホームを下りて素っ気なく無機的なコンコースを抜けると、直ぐに改札口がある。途中に土産物を売る売店もコンビニエンスショップもない。
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出口改札に向かうコンコース。 |
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拍子抜けしてしまうほど素っ気ない改札口(改札を出てから撮影)。 |
去年3月に降りた天津駅前とはずいぶん様子が違う。
駅の様子が違うのは今の駅が造り直された新駅だからいいとして、駅前はもっとゴミゴミとしていたはずだし、こんな都会の真ん中だったかな?
そう思って、調べてみたら去年3月に降りた天津駅は、元の天津駅改修工事中の臨時駅だったようだ。どうりでプレハブ駅舎の印象だった。
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改札口を出ると明るい日差しが眩しいピロティ。 |
駅からタクシーで旧日本租界にある「津城静園」に向かう。
途中少し回り道をするというタクシー運転手氏、石畳が波打つ疎開地を通ってくれた。十分にヨーロッパの匂いが残る整備された街並みに人影はなかった。もっともヨーロッパには行ったことがないのだが…。
辺り一帯が旧日本疎開だという鞍山道でタクシーを降りる。
顔を上げると目の前に開いている「静園」の赤い屋根瓦の門があった。
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「静園」入り口。ここを出るとき、門は閉まっていた。 |
ラストエンペラーといわれた愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)が1929年から1931年にかけて住んでいた「静園」は昨年7月に大がかりな修復が終わって、今は一般に公開されている。内部の見学も可能だ。
それまでは一般の民家として何世帯もの人達が暮らしており、見学することもできず荒れ放題だったようだ(不法居住者だったと記述しているウェッブサイトがあった)。
天津市が建物を保護するために2005年10月から2007年6月にかけて本格的な修復作業を行い、一般公開にこぎつけたという。
1921年に建てられたこの建物は駐日公司も勤めた陸宗輿(Lu Zongyu)の公館で、当時は「乾園」と呼ばれていた。
1925年に北京を追われた溥儀は、婉容皇后や旧臣とともに天津に移り、しばらくしてから「乾園」に入居する。その時に「乾園」の名が「静園」と改められた。
1931年11月10日、溥儀とその一行は天津を極秘に離れる。
その後、日本と連携して満州国皇帝に即位する。そんな薄儀の文字通りの波瀾万丈の生涯で、「乾園」を「静園」と改めてここに留まった思いが偲ばれる。
門の左壁にこの建物の由来が掛かっている。
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Introduction to
the Historic Architecture
Jing Yuan Garden was constructed in the year
1921, originally known as Qian Garden, which was first built as
the private mansion for Mr. LU Zongyu, the minister of the Beiyang
Warlords Government stationed in Japan. From the year 1929 to 1931,
the last emperor of Qing dynasty, Pu Yi, lived here and the name
of the garden was changed to Jing Yuan Garden, indicating a calm
wait for the opportunity. It was also from here that Pu Yi escaped
to City Dalian in 1931 and took the crown again in the second year.
This two-story wood and brick building, with a basement down, is
of great harmony as a whole.
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通用門で入場券(20元/約320円)を買い中にはいる。
入場券は絵葉書になっており、表はライトアップされた「静園」、裏は切手が刷り込まれ直ぐに投函できるようになっている。夜は入館できないようだがライトアップされた「静園」もきれいだ。
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「静園」入場券の表(上)と裏。 |
中にはいると直ぐ右手に、広くはないが「愛新覺羅薄儀展覧館」があり、写真や遺品が数多く展示されている。
写真を撮ろうとして警備員に制止されてしまった。
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展覧館の出入り口。 |
母屋の入り口や廊下に撮影禁止マーク・禁煙マークが掲示されていたが、カメラを向けてもこちらの警備員は何も言わない。強心臓で内部を撮影してしまった。ただしス全てトロボはOFF。
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フローリングが美しいダイニングルーム(1階)。 |
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薄儀を囲んで旧臣達が居並んだ会議室(1階)。 |
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婉容(薄儀の后)の読書室(2階)。 |
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溥儀の寝室(2階)。 |
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溥儀の読書室(2階)。 |
薄儀が故宮の屋根に上っている写真が2階の展示室に貼ってあった。天皇が皇居・宮殿の屋根に上ることを考えるとスゴイ写真だ。
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薄儀の後に見えるのは景山公園か? |
そろそろ昼時、「静園」を出てタクシーで「南市食品街」に向かう。
「南市食品街」のレストランの看板を見ると何処に入っていいのか迷ってしまう。
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大きな看板が並ぶ「南市食品街」。 |
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「南市食品街」の門。 |
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門を入ると海鮮料理、北京料理、天津土産物、名物「麻花」の店が並ぶ。 |
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