ホーム2006年黒川晃彦展新年会津軽三味線21世紀の森と広場北京(4月)
始動広島NPO法人関宿滑空場学生航空連盟(SAF)Ka8Bのレストアバンコク北京(10月)

  2006年4月:21世紀の森と広場
ふれあいの水辺生命の森光と風の広場木もれ陽の森

【21世紀の森と広場】生命の森

千駄掘池端に建つパークセンターを過ぎると生命の森へと続くエリアだ。この一角には「みどりの里」「つどいの広場」「生命の森」「新緑の丘」「縄文の森」がある。

「生命の森」を中心に広がる山里がある公園南側。

「みどりの里」入口に大きな蝶を描くパンジーが強く香っていた。

「みどりの里」から「新緑の丘」を望む。子供の頃過ごした飯野を思い出す。

菜の花はあまり背が高くないが種を植えた時期の天候のせいだったのだろうか。

夏の夜は肝試しの場所によさそうだ。

里の茶屋。あまり喉が乾いたので冷えた缶ビールを独りグビグビッ。

水面に映る緑は既設を勘違いさせる。

生命の森に沿って整備された遊歩道。

生命の森を回り込むとつどいの広場に出る。

つどいの広場の奥まった所にプリンセス然と佇む桜が一本。

つどいの広場の一番奥にある林は落ち葉がふかふかに散り敷いていた。

生命の森を往くとここが松戸市の真ん中だとは思えない。

縄文の森には再現された竪穴式住居が三棟建っている。順番に公開されていて中では建物保存のために職員によって焚火がたかれていた。

中央口を入ると開園モニュメントに迎えられる。

モニュメントの側のプレートにはこの公園の由来が記されている。

二十一世紀の森と広場

昭和四十年代から昭和五十年代にかけて、当時の松戸市は人工が著しく急増し、都市の基盤整備も追いつかず、生活環境も悪化していく傾向にありました。二十一世紀に向かって、本市の将来像を明確にしておかなければ、取り返しのつかない状態になると感じておりました。こうした状況の中で本市のほぼ中央に位置するこの千駄堀地区は、樹林地に囲まれた谷の入り組む独特な景観を構成しており、谷頭には湧水が多く見られ、植物も豊富で、小動物も数多く生息する変化に富んだ地域として存在しておりました。
「この地域の持つ固有の自然環境を守り育てていくこと自体が、市民の生活環境を豊にし、ここを拠点として松戸市の都市空間が新たに創造されていくことにつながる。また、次代をになう松戸市民にも継承していく責務がある。」との認識から、この地を市域全体の核的空間として、大規模公園を建設することを決意いたしました。そして二十世紀最大の事業として、どんな困難があっても成し遂げる覚悟で、輝ける未来に希望を抱き「二十一世紀の森と広場」と命名いたしました。
その後、地権者百七十余名の協力のもとに、面積五十・五ヘクタールを昭和五十六年一月都市計画決定し、同年六月都市計画事業認可を得て事業に着手しました。
以来十余年、幾多の難題を克服し、今、市政施行五十周年を迎えたこの年に開園するに至ったことは、ひとしお感激も新たにさせてくれます。「二十一世紀の森と広場」が子々孫々に至るまで市民に愛され続ける公園として育っていくことを記念して、ここに開園モニュメントを建立いたしました。

 平成五年四月吉日

松戸市長 
宮間満寿雄


ふれあいの水辺生命の森光と風の広場木もれ陽の森

ホーム2006年黒川晃彦展新年会軽三味線21世紀の森と広場北京(4月)
始動広島NPO法人関宿滑空場学生航空連盟(SAF)Ka8Bのレストアバンコク北京(10月)