二十一世紀の森と広場
昭和四十年代から昭和五十年代にかけて、当時の松戸市は人工が著しく急増し、都市の基盤整備も追いつかず、生活環境も悪化していく傾向にありました。二十一世紀に向かって、本市の将来像を明確にしておかなければ、取り返しのつかない状態になると感じておりました。こうした状況の中で本市のほぼ中央に位置するこの千駄堀地区は、樹林地に囲まれた谷の入り組む独特な景観を構成しており、谷頭には湧水が多く見られ、植物も豊富で、小動物も数多く生息する変化に富んだ地域として存在しておりました。
「この地域の持つ固有の自然環境を守り育てていくこと自体が、市民の生活環境を豊にし、ここを拠点として松戸市の都市空間が新たに創造されていくことにつながる。また、次代をになう松戸市民にも継承していく責務がある。」との認識から、この地を市域全体の核的空間として、大規模公園を建設することを決意いたしました。そして二十世紀最大の事業として、どんな困難があっても成し遂げる覚悟で、輝ける未来に希望を抱き「二十一世紀の森と広場」と命名いたしました。
その後、地権者百七十余名の協力のもとに、面積五十・五ヘクタールを昭和五十六年一月都市計画決定し、同年六月都市計画事業認可を得て事業に着手しました。
以来十余年、幾多の難題を克服し、今、市政施行五十周年を迎えたこの年に開園するに至ったことは、ひとしお感激も新たにさせてくれます。「二十一世紀の森と広場」が子々孫々に至るまで市民に愛され続ける公園として育っていくことを記念して、ここに開園モニュメントを建立いたしました。
平成五年四月吉日
松戸市長
宮間満寿雄
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