【10月22日(土)曇り】ひがし茶屋街
主計町茶屋街から浅野大橋を渡ってひがし茶屋街へ。1820(文政2)年に、町割りを改めお茶屋をここに集めたのが始まり。木虫籠(きむすこ)と呼ばれる出格子を持つ家並みが特徴になっている。
奥に進むほどに人出が増えてきたのは週末だからだろう。
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着物姿もチラホラ。 |
20年前に来た時にはこの「志摩」に上がったが、外からはわからないほど中は広かった。
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「志摩」外観。 |
茶屋街の奥は東山菅原神社。
妓楼として卯辰茶屋町で営業が公許されたのが1820(文政3)年。その際、観音町西源寺の後に菅原道真を祀り芸妓たちの鎮守の神とした。その後、現在地に移転している。東隣に祀られている「宇多須神社」の末社。
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東山菅原神社。 |
菅原神社の東隣は宇多須神社。
浅野川の河辺から掘り出した古鏡に卯と辰の紋様があり、卯辰神を祀ったことが起こりとされている。初代の前田利家没後、卯辰八幡宮を建立し利家の神霊を祀りこれを藩社とした。境内奥手には五代綱紀の病(疱瘡だったと言われている)を平癒したとされる「利常公酒湯の井戸」がある。
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宇多須神社。 |
境内に立つ新郎新婦はこちらで挙式したばかりのようだ。
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遠目からの新郎新婦。 |
宇多須神社を後に菅原神社横を抜けるとベンガラ格子の二階屋、新しい伝統工芸品を売る「美かざり あさの」の前に出る。
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美かざり あさの。 |
「あさの」の前を鍵の手に曲がると「東料亭組合」で、二階は今も芸妓の稽古場になっている。
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東料亭組合。 |
細い道はすぐに「広見」と言われる少し開けたところに出た。
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広見。 |
広見から右に折れると「藤嶋山円長寺」前に出る。
円長寺は1586(天正14)年、越前の藤島村(福井県福井市)超願寺の僧・道清によって大鋸屋町に開山、1596(慶長元)年に現在地に移設される。加賀三代藩主・前田利常の位牌が安置されている。
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円長寺。 |
帰りは来た時とは逆の道をたどりバスでホテルへ。
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