【8月18日(土)曇り】安平古堡
安平樹屋を後にして安北路を渡り古堡街に入る。
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古堡街。 |
最初の十字路を右に入ると国勝路31巷で急に人出が増えた。
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国勝路31巷。 |
開けたところに出たら安平古堡の正門前(入り口)だった。
安平古堡は旧称を熱蘭遮城(Fort Zeelandia/ゼーランディア城)という。1624年、この地に進出してきたオランダの東インド会社によって建設された台湾で最も古い城堡。
オランダ統治時代にはここが東インド会社による台湾統治の中心地となる。
また鄭成功が政権をとるとゼーランディア城を安平城と改称する。以後、ここが鄭氏政権三代にわたる支配者の居城となり「王城」と呼ばれた。
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安平古堡正門(入り口)。 |
門扉横のチケット売り場で入園券を購入、50元(130円)。
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入園券は50元。 |
入り口を入ると直ぐ左手にあるのが熱蘭遮城博物館。
ここは台湾が貿易港として開放されて以降、税務司公館として建てられた建物。
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熱蘭遮城博物館。 |
館内にはパネルや模型を使った安平にまつわる歴史がが展示されている。
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この地の地勢を解説した第一展示室。 |
十七世紀の頃、この界隈は「大員」と呼ばれた東西5.6キロメートル、南北0.4キロメートルの砂洲島だったとある。
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ゼーランディア城周辺のジオラマを展示した第二展示室。 |
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当時のゼーランディア城。 |
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ゼーラディアン城のレンガの積み方を解説している第三展示室。 |
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現在の道路図とゼーラディアン城との位置を示した第四展示室。 |
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在台湾オランダ総督府の想像模型を展示した第五展示室。 |
熱蘭遮城博物館の裏が白い監視塔がある赤煉瓦を積み上げられた古堡。
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赤煉瓦の古堡と白い監視塔。
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赤煉瓦を敷き詰めた階段を上る。
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古堡二壇目。 |
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二壇目に立つ鄭成功像。 |
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鄭成功。 |
寛永年間(1623 - 1643)の頃までに盛んになっていた朱印船貿易を進める際に、明国との交易は高砂(台湾)を中継基地的にしていた。そこに進出してきた東インド会社がこの地における交易に一律10%の関税をかけはじめた。
寛永4年(1627年)、朱印船の船長だった浜田弥兵衛はオランダ総督ピーテル・ノイツを人質にとり、オランダに関税撤回を要求。オランダはこれをのみ高砂を自由貿易地にすることに成功した。
昭和になってからこの浜田弥兵衛の事績を記念して建てられたのが「贈從五位濱田彌兵衛武勇之趾」の碑。戦後この碑が「安平古堡」と書き換えられた。
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今は「安平古堡」と刻まれている碑。 |
二壇目の北側には清の嘉慶19年(1814年)に作られた一千五百斤砲が赤錆びたまま並んでいる。
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砲口を北に向けて設置された大砲。 |
三壇目は安平古堡文物陳列館と監視塔への入り口がある。
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文物陳列館の前にも大砲があった。 |
監視塔に上ってみる。
東西南北それぞれに面したガラスには実際の風景に重なるランドマークが記されているが、上手く重なっているとも思えない。
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監視塔北側の景色。 |
文物陳列館は1930年10月の「台湾文化三百年記念大祭」に備えて日本の税関宿舎を改築したもので、ゼーランディア城の模型や、年表、オランダの兵器などの文化財が展示されている。
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文物陳列管内部。 |
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ゼーランディア城復元図。 |
古堡の西側に残されているのが高さ10メートルほどのゼーランディア城外城南城壁跡。
もち米、砂糖水、牡蠣殻灰などから作られた「三合土レンガ」が積み重ねられている。
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外城南城壁跡。 |
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上の写真の裏側。 |
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城壁跡と監視塔。 |
古堡の北側、一千五百斤砲の下に当たるところに内城半圓堡城壁跡がある。
レンガが半円形に積み上げられたこの遺構は現在の古堡よりも古いものらしく、今も調査が続いているようだ。
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内城半圓堡城壁跡の中心は古井戸のようだ。 |
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