【5月3日(木)晴】成都博物館(古代編)
常設展は2階から4階まで、成都の歴史がわかりやすく展示されている。各階への移動はエスカレーター。
【二階】古代編:先秦 — 南北朝
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「古代編:先秦 — 南北朝」展示室入り口。 |
入り口正面のタイトルは「九天开出一咸都」らしいが、よく見ると「咸」ではなさそう。書の心得の無い悲しさ、書道字典でも分からない。
李白の「上皇西巡南京歌十首」の中に『九天开出一成都、万户千门入画图』とあるのを見つけたが『九日間で成都を開いた、万戸千門が入る絵図』かな?
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一字違いの「九天开出一成都」。 |
戦国時代(紀元前453 - 221)の漆器が美しい。
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漆の銃器類(紀元前453 - 221)。 |
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漆几(戦国)/漆小型机(紀元前453 - 221)。 |
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漆豆(戦国)/漆器(紀元前453 - 221)。 |
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載魂之舟<上>と船棺<下>(戦国)/来世用舟と船形棺(紀元前453 - 221)。 |
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漆床<レプリカ>(戦国)/漆寝台(紀元前453 - 221)。 |
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石犀(秦漢)/石製犀(紀元前778 - 西暦8)。 |
◆裴君碑(東漢/25 - 220)
成都東御街から出土した。頭部、本体、基部から成っている。
東漢の順帝漢安三(144)年に建てられたが、その後倒壊、桓帝元嘉二(152)年に再建された。碑文の1400有余字は裴君の生前の功績を記録している(碑の解説板より)。
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裴君碑(東漢/25 - 220)。 |
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「裴君碑」の一部を拡大。 |
裴君碑の右手に展示されている似たような形の石碑は李君碑。
◆李君碑(東漢/25 - 220)
成都東御街から出土した。頭部、本体、基部から成っているが、基部は紛失している。
東漢の順帝陽嘉二(133)年に「殿堂」内に建てられたが、その後洪水で倒壊、裴君が人を遣わしてこれを修復、移設する。移設先は「学宮」で、そこに裴君碑と共に収めた。碑文の800字余りは蜀郡太守であった李君の徳政を記録している(碑の解説板より)。
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李君碑(東漢/25 - 220)。 |
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陶人形・道化役者(東漢/25 - 220)。 |
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漆木盤(西漢/紀元前202 - 8)。
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銅扁壺(西漢晩期 - 東漢前期)。 |
中国医学が古い歴史を持つことはなんとなく知っていたが、西漢の頃には既に人体のツボが知られていたことを、この人形で知った。
これは漆で塗り固めた体のツボを示している30センチメートルほどの高さの人形。
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経穴漆人(西漢/紀元前202 - 8)。 |
【三階】古代編:隋 — 清
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「古代編:隋 — 清」展示室入り口。 |
入り口正面のタイトルは「喧然名都会」で、杜甫の「成都府」の一節。
試されるなぁ、調べないと分からない。『賑わう大都会』ほどの意味だろう。もちろん大都会は成都のこと。
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「喧然名都会」。 |
端正で見事な白磁は「邢窯『官』字款白瓷瓶」。
「官の字を刻印した邢窯の白磁瓶」と言うことだろうが「官」の文字が見つからなかった。
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「邢窯『官』字款白瓷瓶」(唐/618 - 907)。 |
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鏤空金香囊・金の中空香囊(唐/618 - 907)。 |
鼻の大きな観音様、彭州市天府大道で出土したとあるが見慣れない顔立ちだ。
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青銅観音立像(唐/618 - 907)。 |
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展示会場の様子。 |
こちらは見慣れた顔立ちの「彩绘陶吹筚篥俑」は「彩色筚篥を吹く陶人形」。筚篥はリードが付いた竹製の笛のこと。
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彩绘陶吹筚篥俑(後蜀/934 - 965)。 |
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陶庭院・陶製中庭模型(後蜀/934 - 965)。 |
こちらのコーナーのタイトルは「丹楼生晚輝」。これは調べても何に由来していることばなのか分からなかった。
「丹楼」は赤く塗られた城郭かな?
「生晚輝」は遅くなってから輝くのかな?
……分からん。
下の方に「明清時期的成都」とあるが、これは「明清時代の成都」だ。
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「丹楼生晚輝」。 |
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彩釉陶将軍俑・陶製彩釉将軍像(明/1368 - 1644)。 |
明の太祖・朱元璋の命によって洪武15(1382)年に建設された蜀王府の模型。
城壁が二重になっている。東の外壁は現在の順城大街、西の外壁は現在の東城根街、南の外壁は現在の東御街と西御街、北の外壁は現在の西玉龍街と羊市街にあたっている。
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蜀王府示意模型・蜀王府公邸の模型。 |
展示会場では非常に美しかった以下の二点の磁器瓶の写真は、会場が暗すぎ光量不足でノイズたっぷりの写真になってしまった。
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粉彩雲蝠紋瓷賞瓶・粉彩雲蝙蝠紋磁気瓶(清/1644 - 1911)。 |
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粉彩蝴蝶紋瓷賞瓶・粉彩胡蝶紋磁気瓶(清/1644 - 1911)。 |
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