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  2018年4月:成都
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牛王朝家常面昭覚寺文殊院青年路

【4月30日(月)晴】昭覚寺

たどり着いた昭覚寺前の昭青路、なんとも殺風景な風情だ。

昭青路の奥に赤い照壁見える。

道の左側は広い歩道になっていて仏具屋が並んでいる。

何軒も軒を連ねる仏具屋。

照壁に近い歩道上は占い師が並んでいる。

照壁の裏側(山門側)の真ん中にある「福」の字に手を伸ばして記念写真を撮る観客が多い。

昭覚寺照壁。

昭覚寺は川西第一禅林と呼ばれるほどの禅宗の名刹。
唐の貞観年間(627 - 649)の創建で、創建当時は建元寺という寺名だったが唐の宣宗に昭覚寺の名をもらう。
明末(十七世紀初め)に兵火で全焼したが、清の康煕2(1633)年に破山和尚などの尽力で再建た。現在の建物群は文化大革命で破壊されたものを1985年に修建したもの。
多くの高僧を輩出し日本や東南アジアとの関係も深い。円悟和尚が著した「茶禅一味」は日本の茶道に大きな影響を及ぼしたという。

山門。

山門に架かる「第一禅林」の扁額。

観光客よりも参拝者の姿の方が多く、山門を入った所で殆どの人が線香を買っていた。

参道。

参道の真ん中に建つ八角堂はかっこうの休憩所になっている。

八角亭。

枝木にとまるジュウシマツを連想してしまった八角亭内。

天王殿、地蔵殿、大雄宝殿、経蔵殿と一直線に並んでいる長い参道を真っ直ぐ進む。

天王殿。

地蔵殿。

本堂にあたる大雄宝殿。

大雄宝殿内。

どの社殿もそこに祀られている仏像(仏像以外に建物や肖像画があった)の前に置かれた拝跪台で熱心に拝礼する人の姿が途切れない。

熱心に神仏に願わずにはいられない人がこれほどいるということは、どういうことなのだろう、考えてしまう。

蔵経楼。

蔵経楼の西隣が「應世人間」の変額をかけた「観音殿」の門で、この「應世人間」は「世界で」という意味になるらしい。

観音殿の門。

この「應世人間」は、1955年に中華人民共和国元帥の階級を授与された朱徳が、その後の文化大革命で追われたときに昭覚寺に逃れ事なきを得たことから、彼の秘書の周官和を通じて感謝の意を示すために贈ったとものだと、側の説明板にあった。

観音殿。

観音殿の近くにあった献灯台。

観音殿の西側、開けた所にあるのが「上師殿」と「清定上師舎利宝塔」。

上師殿。

ここで言う上師とは昭覚寺第十七代方丈清定上師のこと。方丈とは寺の最高責任者のことだろう。

清定上師は1989年に現在の大雄宝殿、円通宝殿などを再建した僧で、この再建により昭覚寺は成都西南地区でも最大規模の寺院となった。

奥の塔内に建つのが「清定上師舎利宝塔」。

清定上師舎利宝塔。

上師殿のさらに西側に昭覚寺と成都動物園を隔てている入り口がある。

左側が動物園への入り口、右側は動物園の切符売場。

動物園入り口から「蔵経楼」の前に戻る。その東隣が「大師殿」。

大師殿の門。

「大師殿」はチベット仏教僧達の修業殿で、殿内にはチベット仏教・格魯派の祖師、宗喀巴大師とその弟子の克珠傑と賈曹傑の像が祀られている。

大師殿内の御書楼。

御書楼に祀られている仏壇?

北東の外れは献灯台が並ぶ塔林。
それそれの塔にカラフルな布が捧げられているのは、この塔はチベット仏教由来なのだろう。

チベット仏教の塔林。

塔林の向かい側がチベット仏教の堂で、反り上がった赤い屋根の円通宝殿。

円通宝殿。

円通宝殿内の大きな摩尼車。

円通宝殿の中央はガラスケースに収まった四面の千手千眼観音像で、1008の 手と眼を持っている。

千手千手観音像。

円津宝殿の前に建つ小さな堂は普同堂。

普同堂。

涅槃胴を後に山門に向かう途中、亀の背に載った碑が並ぶのが碑林。

碑林。

昭覚寺の山門を出ると真っ赤なトゥク・トゥクから声が掛かる。

声をかけてきた赤いトゥク。

声をかけてきたトゥクトゥクのお兄さん、派手なシャツを着て、愛嬌が好い。
被っていたハンチングを彼に被せて、写真を撮ったら思った以上にはしゃいでくれた。

トゥクトゥクのお兄さん。

トゥクトゥクのお兄さんにサヨナラして、昭覚寺南路站へ。

昭覚寺南路。昭覚寺南路站近く。

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