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  2004年8月:房総半島
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【8月】 天津小湊→御宿

天津小湊から128号線に入り、後はずっと右手に大平洋を見ながら進む。

鯛の浦、行川アイランド、勝浦海中公園を経て御宿町に向かう。勝浦、御宿の海には何時も(真冬でも)ウエットスーツをきたサーファーが浮いている。

勝浦の沖で波を待つサーファー。

御宿漁港。

かつては商店だった浜海水浴場前のレンガ造りの家。

御宿駅前に抜けるY字路交差点の手前右手にときどき昼食に寄る「鶴の寿し」(御宿町浜436/Tel: 0470-68-2147)がある。手入れの行き届いた建物の外側から、ここなら外れないだろうと勘で入った店だ。

中は座敷きとカウンターでテーブル席が無い。初めて入った時もそうだったが奥の座敷きはいつも家族連れの客で一杯だ。

128号線に面した鶴の寿し。この道を左に往くと御宿駅前に出る。

鶴の寿しのご亭主はやかましく無い程度に話し相手になってくれる。

御宿に来た時は「月の砂漠記念館」にも必ず立ち寄る。
館内のギャラリーで開かれている展示会を見ながら夏は涼しい、冬は暖かい室内で一休みさせてもらう。在席していれば館長の養老さんに声をかける。

月の砂漠記念館はその名の通り童謡「月の砂漠」にちなんだ記念館だ。
大正から昭和にかけて活躍した画家「加藤まさを」が御宿を舞台にして作詞したものだ(ちなみに作曲は佐々木すぐる)。

晩年加藤は御宿に移り住んでいる。これを記念して昭和44年7月6日に「月の沙漠記念像」が建てられた。記念館の1階は彫刻、絵画、書などの企画展が開かれるギャラリー、2階が加藤まさをの作品や資料の展示場になっている。

月の砂漠記念館は以前ここで池田忠利展が開かれた時にも一度紹介している。

海岸から見た月の砂漠記念館。

二頭の駱駝は月の沙漠記念像。

ラクダ像の後ろはどれもリゾートマンションだ。

ラクダの像を別の角度から見ると童謡の町・御宿とは違った別の顔が見えてくる。

バブル全盛期に建てられたリゾートマンションを背景にした二頭のラクダは何処に向かうのか。金の鞍と銀の鞍に乗る二人の表情は変わらない。

月の砂漠の詩に心ときめくものを感じたのは何時の頃だったか。

月の砂漠記念館とラクダの像の前に広がる御宿海岸は白い砂で乾くと簡単に手で払い落とせる。

家族連れよりもグループで来ている若い人達が眼に着く。殆どの人が車で来るので海水浴シーズンは周辺の駐車場はいつも満車だ。

遠浅の御宿中央海岸は汐が引くと広い砂浜になる。

御宿中央海岸に続く岸和田海岸の先にトンネルがあるが、そこを抜けて行くとメキシコ塔記念公園がある岸和田の丘に出る。

この標識を左に上って行くとメキシコ公園がある。

記念塔の入口にはメキシコ大統領来訪記念碑が建っている。その理由はメキシコ公園の由来を説明した看板を読めば分る。

昭和51年11月1日。国賓として来日されたホセ・ロペス・ポルティーリョ大統領は、この日、日西墨交通発祥の地である、我が御宿町を訪問された。
大統領は、若者たちのかつぐ、みこしに乗り、日の丸の扇を高くかざし、「エルマーノ!」(兄弟よ!)を連呼し、町民の歓呼に応えた。

記念塔までの石段脇にメキシコ公園の由来を説明した大きな看板がある。

1609年(慶長14年)スペイン領フィリピン総督ドン・ロドリゴを乗せた帆船サンフランシスコ号はフィリピンからメキシコに向け航海中台風に遭遇し漂流、この岸和田海岸に座礁した。
秋9月30日未明のことである。
乗組員373人中56人は溺死残る317人は岸和田村民により救出された。この時海女たちは、飢えと寒さと不安にうちふるえる異国の遭難者たちを、素肌で暖めて蘇生させたと伝えれられている。大多喜城主本多忠朝の明断により遭難者たちは37日間岸和田大宮寺に滞在、村民の手厚い保護を受けた後、江戸城に至り将軍秀忠に謁し、更に駿府に至り家康に謁し、翌1610年家康が三浦按針に建造させた新しい船を与えられて無事メキシコに帰国した。
翌1611年答礼使ビスカイノの来日、そして1613年支倉常長のメキシコ・スペイン・ローマ特派など、一連の史実はすべてこの岸和田村民の心意気に発するものである。
我等の祖先の美学を後世に永く伝えるためまた永遠なる国際親交を記念して、昭和30年10月1日森矗昶、浅野重雄等発起人となり、この日西墨交通発祥記念碑、通称メキシコ塔が建立された。

岸和田の丘に建つ記念公園の中心がこのオベリスク。

鶴の寿しのご亭主はやかましく無い程度に話し相手になってくれる。

記念公園から下を見ると岸和田の小さな漁港が見える。目の前はメキシコまで続いている大平洋。雄大な気分になる。

岸和田の漁港。

メキシコ記念公園を後にして帰路に着く。128号腺を御宿駅前に入り、駅前を右折する。

御宿駅前から128号線に出る駅前通り。閑散としている。

駅前の道を茂原方面に500mほど進み、小さなガードをくぐるように左折し御宿霊園の下をカーブしながらその先の御宿町上布施の信号を左折、174号線に入いり、後は一本道。

勝浦ゴルフ倶楽部の脇を抜けて82号線に合流、佐野で297号線に出る。 297号線に出たら上総牛久、山本三叉路を経て市原埠頭入口信号で16号線に入る。

海岸の賑わいとは裏腹にひっそりとしたJR外房腺御宿駅。

もう一つのルートは鶴の寿し右斜前にある128号線の信号を御宿台方面に曲がり、御宿台を抜けて273号線に乗り、御宿ダム入口、平田を経て297号線に出ることもある。
また、御宿台には旧友池田君夫妻の家もあるのでたまに立ち寄ることもある。

鶴の寿司、月の砂漠記念館も房総半島ツーリングの目的の一つだが、池田君夫妻にあったり、池田君に教えられた地元の魚屋が経営する食堂「石松」に寄ることも楽しみである。

「石松」は126号線の御宿町新町交叉点近くにある。

大振りな刺身五品盛りの石松定食がお薦めの「石松」。

◆御宿から馬橋までの所要時間は約2時間45分◆

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