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  2004年5月:房総半島
麻綿原高原麻綿原→天津小湊妙法寺県民の森→天津小湊天津小湊→御宿地図

【5月】 県民の森→天津小湊

麻綿原高原のT磁路を左折すると道は広い下りになるが、砂利まじりの未舗装だ。車のタイヤか削ったのか雨が掘ったのか、深くえぐられた凹みがあちこちにあり走り難い。

2速でトロトロと下りて行く。

走るというより転がすようにして下りて行く砂利道。

急に空が開けて砂利まじりの道が鋪装に変わりT磁路にぶつかる。

砂利道を下るとT字路でこの木が待っている。

T字路を左に行くと内浦県民の森に続き、安房小湊に出る林道だが、今は通行止めの大きな立て看板とその奥に閉ざされたゲートが見えるばかりだ。

通行止めの立て看板と閉ざされたゲート。

T字路の右は林道天津腺で急な下りになっている。

林道天津腺の標識と林道入口。

天津林道への分岐手前にもう1本道がある。清澄に抜ける道だが未だ走ったことがない。あるいはハイカー専用の道なのか?

天津林道への分岐手前にある標識。

天津林道の標識前を下ると、この辺が一番高い所なのだろう、谷をずっと先まで見通せるコーナーがある。
谷の奥の先に小湊の海が見えたような気がしたが写真には写らなかった。

木々の通らなりの先に海が見えたような気がする。

天津林道はずっときれいに鋪装されていて、すれ違う車輌もなく走りやすい。

こんな調子で道は下り続ける。

林道に沿って流れる神明川に小さなダムがダムがあった。

ひっそりとした佇まいの小さなダム。

砂田まで下りて来ると目の前に海が見える。大平洋だ。

砂田の村落から見える海。

山道を下りきって小さな集落を抜けると天津神明神社の前に出る。

天津神明神社参道。

参道を入っていくとこの神社の由来を示した掲示がある。読み方の分らない字(痔の病ダレがマダレになった字)や源頼朝の名前が出てくる。

神明神社

当神社の祭神は天照皇大神、豊受大神、八重事代主神、大山祇大神など七柱の神が合祀されています。
むかし「天孫降臨」に当たり、八重事代主神が海路当地に来て、東方鎮護の神として鎮座されたので人々はこれを喜び「庤明神」として尊称しました。
治承四年(1180)源頼朝が石橋山の戦に敗れ、安房に逃れて来たとき、伊勢神宮に源家の再興を祈念し、祈願が成就したなら、安房の国に御厨一処を寄進しますと祈誓しました。
そして宿願が成就し、寿永三年(1184)当地に御厨を新設し、伊勢より迎えた神霊と、以前より鎮座の「庤明神」とを相殿にまつりました。
それから、「房州伊勢」と尊崇され今日に至っています。
境内東側の山はすぐれた極相林として町の指定文化財になっています。
山頂には伊弉諾・伊弉冉の神を祀る諾冉神社があります。
境内の「まるばちしゃの木」は亜熱帯性落葉喬木で千葉県指定天然記念物になっています。

境内はきれいに帚目がつけられているが人陰がない。すっかり色の濃くなった緑が本殿の左右に迫っている。

濃い緑に挟まれた本殿。

本殿の手前左側に柵に囲まれた「まるばちしゃの木」あり説明板が立てられていた。

千葉県指定 天然記念物
まるばちしゃの木
天津小湊町天津二九五四
指定年月日 昭和十年十一月十二日

マツバチシャノ木は亜熱帯植物で、その分布は中国中部と南海・南海島・台湾等の暖地に自生する落葉喬木です。我が国では沖縄・九州・四国等の海岸山地に稀に見ることができます。
千葉県では、実入地(ここから一キロメートル程東の海岸)及び小湊海岸地区等以外にはほとんど見ることができません。
この四樹は、この木の北源地として価値が高く、非常に古木で、このように大きなものは、たいへん珍しいとされます。
初夏枝先に白色の小花が密集して咲き、秋には直径一センチ程の実が黄熟します。種子は朝顔の種程の大きさですが、用意に発芽しないため、昔から珍しい樹木と言われています。
又、この樹については「なんじゃもんじゃ」の呼称もあり、神明神社の神木として信仰されています。

神明神社
千葉県教育委員会
天津小湊町教育委員会

天津小湊神社の参道を出ると直ぐにJR外房腺のガードをくぐる。道なりにすすむと天津トンネルを出てきた128号線のバイパス下に出る。天津小湊の新町だ。

128号腺を左にとって海沿いに勝浦、御宿方面へ走る。

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