【8月18日(日)】チャルーンラート通り(Charoen Rat Road)
コーヒーで軽くなった足でターペー通り(Tha Pae Road)をさらに東へ。
ワンブロックほど行くと道は直ぐにナワラット橋(Nawarat Bridge)にさしかかる。橋を渡ってピン川(Mae Pin)を越える。
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ピン川。 |
橋を渡って直ぐに左折、川沿いのチャルンラート通り(Charoen Rat Road)を北上。この通りは19世紀の後半以降、商都として栄えたチェンマイの面影が残っているという。
中国雲南省からタイ北部を通ってミャンマー(旧ビルマ)につながる交易路の中継点として、ここを人と物が行き交ったという。
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たまに車が通り過ぎてゆくチャルンラート通り。 |
以下はチャルンラート通りの両側で見た木造の建物達。あえて説明は要らないだろう
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近年の建物のようだが、新しいが形が変わっているので撮影。 |
道がカエオ・ナワラット通り(Kaeo Nawarat Road)にぶつかる手前にあるのがワット・ケート・カーラム(Wat Ket Karam)。
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これは布薩堂かな。 |
1428年に建立されたと言われるこの寺院は、今までに何度かその名前を変えているようだ。寺院様式としてもランナー、中国、タイ中央部の影響を受けているというが、周囲を回っただけでは何処がどうなのか分からなかった。
境内にこの寺院の由来を説明する石碑があった。
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境内に立てられていた石碑の英語部分。 |
以下に石碑の文を書き出してみた。
WAT KET KARAM (KET KARAM TEMPLE)
Wat Ket is an ancient temple located on the East Side of the Mae Ping River. According to the chronological records, Wat Ket was built in 1971 B.E. (Buddhist Era) during which time (between 1954-1985 B.E.) When Phra Jao Sam Fang Kean, the king of the Mung Rai dynasty was ruling the region.
Formerly, the pagoda of Wat Ket was called "Phra Thad Ket Kaew Jula Manee" where the relic of Lord Buddha was kept. It is believed that the pagoda represents the original one in the topmost heaven (Daowadueng) on earth. The spire of the pagoda was purposely made tilted in order to void indecency by pointing it to the one in heaven.
It is further believed that all human beings, when pass away, their souls will remain at the pagoda depending on the animal signs of the years they were born. While still living, it would be auspicious throughout their lives to worship the pagodas, which dwell the same animal birth signs of their own. Wat Ket's pagoda represents the birth sign of "Dog".
From the stone of records which is standing at the top of the stairs on the southern part of the main service hall (Viharn), Mung Noratha Chor, who was the ruler of Chiang Mai (between 2121-2150 B.E.) commanded a restoration to the tumbledown pagoda of Wat Ket's. The restoration began in 2121 B.E. and the task finished in 2124 B.E. He then ordered for a Grand Celebration and recruited a large number of people to serve in the temple.
In the beginning of the Rattanakosin Dynasty, there were many foreigners who had different cultures and religions lived around Wat Ket area. The majority of these inhabitants were the Chinese merchants. |
こんなことを言っているようだ。
ワット・ケート・カーラム(ケット・カラム寺院)
ワット・ケートはピン川の東側に位置する古代の寺院である。年代記によるとこの寺院はムン・ライ王朝の王であったプラ・ジャオ・サム・ファン・キアンがこの地域を支配(仏暦1954年~1985年の間/西暦1411年~1442年)していた仏暦1971年(西暦1428年)に建立された。
嘗てワット・ケットの仏塔は「プラ・タッド・ケット・ケオ・ジュラ・マニー」と呼ばれ、仏陀の遺骨が安置されていた。この仏塔は、地球上で最も高い天(ダオデュンス)にある仏塔の原型を表していると伝わっている。仏塔の尖塔は天国にあるものに対して不敬にならないよう、意図的に傾けて作られている。
すべての人間の魂は、死後、生まれた年の干支に応じて仏塔に留まると信じられている。生きている間は、自分と同じ干支を持つ仏塔を拝することが、生涯を通して縁起が良いとされている。ワット・ケットの仏塔は「犬」の干支を表している。
本堂(ヴィハーン)の南側、階段の上の石碑によると、チェンマイの支配者であったムン・ノラタ・チョール(仏暦2121年-2150年/西暦1578年-1607年)が、荒廃したワット・ケートの仏塔の修復を命じた。修復は仏暦2121年(西暦1578年)に始まり、仏暦2124年(西暦1581年)に完了した。彼はその後、盛大な祝賀会を命じ、寺院に奉仕するために多くの人々を集めた。
ラッタナコーシン王朝の初めには、ワット・ケット周辺に異なる文化や宗教を持つ多くの外国人が住んでいた。これらの住民の大多数は中国人の商人だった。 |
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本堂。 |
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仏塔。 |
カエオ・ナワラット通りに出てナコーン・ピン橋(Nakron Ping Bridge)を渡り、赤いソンテオを捕まえようとするのだが一台も走ってこない。
ラーチャウオン通り(Rachawong Roak)まで歩いて、やっとハーバー(HARBOUR)までオッケーというソンテオを捕まえることができた。50THB(160JPY)。歩くよりもよほどマシだ。
ホテルに戻る前に昨夜の晩飯を食べた店を確認し、角のセブン-イレブンでビール4缶パック(135THB/482JPY)とつまみ(30THB/96JPY)を買い込む。
晩飯は外に出るのが億劫になりホテルのダイニングルームで済ませる。
“
Fried Noodel Poured with Chicken & Vegetable in Soy Sauce”なるものを注文、120THB(384JPY)。鶏肉と野菜の五目餡かけの下から、幅広のタイの麺センヤイが出てきた。
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思いの外美味しかったタイ式餡掛けや焼きそば。 |
初めての味だったがこれもタイの味、美味しかった。広い食堂に他の客は無し、貸し切り状態だった。
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ガランとした晩飯時のダイニング・ルーム。 |
今日も首から提げたカメラが熱くなり、レンズが急に引っ込んで液晶モニターにエラー表示が出ること数回。バッテリーも半日しか保たない。G10もそうだったが暑さに弱いのだろうか。それほどの暑さでは無いのだが一度サービスセンターに問い合わせてみよう。
本日の万歩計:14,342歩。
旧市街までの往復にソンテオを利用してこの距離だ、今日も好く歩いたな。
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