【4月28日(火)】 成田 → ルアンパバーン(Luang Phabang)
昨年のゴールデン・ウイークにビエンチャンに行ったときは、直行便が無いせいもあったのだが、飛行ルートをろくに確認せずに搭乗便を決めてしまい、とんだ遠回りをしてしまった。同じ轍を踏まないようにと、ルアンパバーンまでのルートを確認して予約、一度の乗り継ぎはハノイ空港。
会社と自宅でそれぞれ何度もWebチェックインを試したが、途中で拒否されてしまい結局チェックインできずじまい。
やむなく出発2時間前の8時前に成田空港第一ターミナルのチェックインカウンターに並ぶも、既に長蛇の列。
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チェックインカウンター前の長い列。 |
10:00 発 ベトナム航空 VN311便。
座席に着くと隣は成田のチェックイン・カウンター前で並んでいたときに、目があった若い女性が座っている。こんなことがあるんだな。彼女もこちらを覚えていた。
カンボジアの人でホーチミンで働いているとのこと。革命記念の休みを利用した日本旅行の帰りで、これからハノイで仕事をしているボーイフレンドに会いに行くのだという。
13:55 ハノイ ノイバイ国際空港 着。
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ノイバイ国際空港に着いた成田からの搭乗機。 |
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乗り継ぎのために空港内を移動。 |
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ノイバイ空港 搭乗待合せロビー。 |
ルアンパバーン行きの乗り継ぎ便は18:50発 VN2905 (QV314)、待ち時間が5時間余りある。
持参した本も読んでしまったので、後半の3時間ほどは空いているベンチで寝て時間を過ごす。
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ロビー内の掲示は、この時点で出発まであと3時間余り。 |
搭乗のアナウンスに促されてバスで搭乗機まで移動。バスは暮れ始めた飛行場の中をかなり端の方まで走った。
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空は未だ明るいが、飛行場の施設も機体のポジション・ライトも点灯した。 |
バスが停まったのは地上から直接乗り込む可愛らしい機体だ。運行もノイバイ空港からルアンパバーン空港までのラオス国際航空。
初めて乗るこの機体 ATR-72-200 はATR(Avions de Transport Régional )製のターボプロップ双発旅客機。ATRはフランスのアエロスパシアル(現エアバス・グループ)とイタリアのアエリタリア(現アレーニア・アエロナウティカ)が1982年に興した共同事業体。
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ラオス国際航空の社章は国花プルメリア。 |
機体が小さいので搭乗するのにボーディング・ブリッジやタラップを使わず、機体のドア内側に設けられたエア・ステアを利用する。
搭乗者の多くがこの機体に乗るのが初めてのようで、機体を背景に記念写真を撮ったり、地上から飛行場の様子を撮影する人が多い。
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初めてエア・ステアで搭乗した。 |
機内アテンダンスの一人の顔立ちがクメール仏を彷彿させる。カメラを向けたとたんに強く ”No!”
隣に着くなり、隣の席に座る日本の青年から声をかけられた。
大学生の頃、東南アジアを一回りしたがラオスだけ足を踏み入れていないので、ルアンパバーンにゆくのだという。好青年だ。
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シートのヘッドレスト・カバーのロゴ・マーク。 |
19:50 定刻通りの運行でルアンパバーン空港に到着。
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ルアンパバーンに着いた搭乗機、ATR-72-200。 |
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ターミナル・ビルまで徒歩で移動。 |
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ターンテーブルの奥は入国審査カウンター。 |
両替レートは1Kip = 0.0151円。10,000Kip = 約 150円。昨年のビエンチャン訪問時は10,000Kip = 120円だったから当時より三割も円が下がっている。
空港ビルの出口にあるタクシーチケット売場でチケットを買おうとしていると、機内で隣り合った若者の『ホテルまでのタクシーを二人で割り勘にしませんか?』との申し出。一人で50,000Kip(約755円)だが二人だと70,000Kip(約1,057円)、断る理由も無い。とりあえず彼から2USD受け取ったが、計算が合ってないぞ。
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ボールペンで「2」と書き足されただけのタクシー券。 |
タクシーと言ってもマイクロバスの乗り合いだった。
外気の温度は 29℃、夜だからだろう暑さは感じない。
空港を出たタクシーは直ぐに街中に入り、乗車するときに乗客が運転手に伝えたホテル前で客を降ろしてゆく。
空港から20分くらい走っただろうか、街灯もろくに無い暗い路上(サッカリン通り/Sakkaline Road)で降ろされると、目の前が予約しておいたホテル、というよりゲスト・ハウス「ヴィラ・センスーク(Villa Senesouk)」だった。
機内で隣り合わせた青年はホテルの予約が無いのでもう少し先まで行って探して見る、見つからなかったらここに戻ると言ってバスに残った。
周囲が暗いので「ヴィラ・センスーク」の全容が見えないが、案内された二階の部屋に荷物を入れて、フロントで近くに食事のできるところは無いか訊いてみた。なにしろ宿の前の道は真っ暗なのだ。
少し行けば何軒かレストランがあるので行ってみると好いと勧められたので、最初に目についた「スリー・ナガス(3 Nagas)」に入る。
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9時半を過ぎているが他に客は無し。 |
テーブルについて先ずはラオ・ビール(Beerlao)。ビエンチャンでもこればっかりだったな。
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懐かしの Beerlao 。 |
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キノコのスープだったかな。 |
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ココヤシの香りタップリのカレーと赤米のカオ・ニャオ。 |
スープもカレーも気に入ったが、ビエンチャンより五六割り方高いように感じた。円安の影響もあるのだろう、〆て161,000Kip(約2,430円)。
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スリー・ナガスの前に停まっていたシトロエン。 |
後で分かったことだがスリー・ナガスはサッカリン通りを挟んで真向かいに同名のホテルがあり、このレストランはその付属のレストランだった。
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後日撮影したスリー・ナガス・レストランとシトロエン。 |
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スリー・ナガスの シトロエンは Citroen 11B Limusina のようだ。 |
部屋に戻ったのは11時近く、どうやってもシャワーがお湯にならない、水だけのシャワーなのだろうか?
シャワーをお湯にするのを諦めて1時に就寝。何時ものことだが旅行の初日は永い一日だ。
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