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  2010年11月:松虫寺
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【松虫寺 松虫姫堂】

仁王門の東側には通路を隔てて四脚門が建つ。

屋根が重そうに見える四脚門。

門の奧が寛政十一年の建立になる本堂の松蟲姫堂。阿弥陀如来、不動明王、松虫姫尊像を祀ってあるそうだ。
松虫姫堂の右側には区画整理されたような墓地があった。

松虫姫堂。

正面、向拝の奧は鍵がかかったガラス戸が嵌めてある。しかたなくガラス越しに中を覗いてみると、美人画が奉納されている。その隣に掛かっているのは繭が納められた奉納額だ。
松虫姫と共に京から下ってきた杉自や従者達が、村人に養蚕や機織を伝えたという言い伝えから奉納されたものだろう。

奉納されている繭の奉納額と美人画。

さらに「安産成就」と書かれた絵馬や松虫姫伝説を描いた「松虫姫略絵図」が掛かっている。

「安産成就」の絵馬。

誰の手になるのか「松蟲姫堂」の扁額。

松虫寺のことをインターネットで調べていたときに、松虫姫伝説が「流浪貴人と養蚕伝説」に似ていると書いたページを見つけた。そのページによると、蚕のルーツを伝える物語の一つに『貴人の娘が癩病(ハンセン病)に罹ってしまったために海に捨てられる。流れついた地で村人に手厚く看病されるがその甲斐なく亡くなる。その後、葬られた墓から見つかった芋虫が蚕だった。』というのだ。
さらに続けて『この話には漂流と癩病がセットになっている。養蚕が海を越えて大陸から伝わってきたことと、蚕の体にあばたのような模様があることから、癩病が連想されたのではないか。』と推測している(珍獣様の語り部屋「松虫姫伝説」参照)。

松虫姫も癩病だったと伝わっており、京からこの地に下って都の文化を伝えたと言われていることから「流浪貴人と養蚕伝説」に似ている部分がある。さらに、松虫姫は海こそ渡っていないが「土浮きの渡し」伝説では舟無しで印旛沼を渡っており要件は揃うようだ。

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