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  2004年12月:印旛沼界隈
まがり屋まがり屋内部メタル・アート・ミュージアムミュージアム内部地図

【12月】メタル・アート・ミュージアム

「まがり屋」で買った酒をバイクの荷台に括りつけて印旗沼の畔まで戻る。

「岩名運動公園」、「草ぶえの丘」を過ぎて長い直線の坂を下り切った左手に「双子公園」がある。

「双子公園」入口。

公園内の小さな丘からは印旗沼が見渡せる。

丘の上から見た印旛沼。

公園の一角に象の親子像がある。何故かと思って近寄ると手前のプレートに

ナウマン象について

一.今から約一万年前まではアジア大陸に生息していた。
一.最近では野尻湖(長野県)、北海道でも発掘されている。
一.印旗沼で発掘された事から考えられることは
  イ.アジア大陸と陸続きであった。
  ロ.発掘された地層から沼地は当時からあった。
  ハ.ナウマン象は水飲みに沼に近寄り泥土にはまった。
  以上のようなことが考えられる。

……とある。
これは1963年から1969年にかけて印旗沼が干拓されたときに見つかったナウマン象の化石を記念したもので、化石は約3万7千年前のものだったそうだ。
化石は現在国立科学博物館に保管されている。

ナウマン象親子と丸い説明板。

ここを通るときはできる限りこの辺でお昼になるようにしている。

それは双子公園の右隣にある「ふたご亭」で昼食にしたいからだ。
看板に「うなぎ」の文字があるが、店の外見からは想像できないくらい旨くてしっかりしたうなぎを食べられる。

お目当てはうな重やうな玉丼、うなとろ丼だが、カキフライやカツ丼などもあり、お昼時は何時も地元の人達で賑わっているが、知らなければ素通りしてしまうような店構えだ。

地元の贔屓も多い「ふたご亭」。

公園もうなぎ屋もうなぎ屋横の信号を左折した所に架かっている赤い鉄橋も「双子」と付くがこの辺の地名なのだろうか? 地図を調べてもそんな地名は無いようだが。

「ふたご亭」のうなぎは注文を受けてから調理を始めるため、テーブルに運ばれてくるまでに時間がかかる。
休憩する身にはそれも都合がいい。

うなぎの後は次の目的地「メタル・アート・ミュージアム光の谷」に向かう。
「ふたご亭」前の曲がりくねった一本道を山田橋まで戻り、橋のたもとの信号を右折する。

山田橋手前のこの信号を右折する。

右折するとゆるい下りが続く。
行く手を横切る赤い橋の下をくぐると左下に印旛捷水路が見えてくる。

右折して直ぐに寂し気な道を下って行く。

印旛捷水路の先は北の印旗沼だ。

左側に印旛捷水路が見えてくる。

ゆるい坂を下り切ると直ぐに印旛捷水路に架かっている橋があるのでその橋を渡りすぐに右折する。
田舟全盛時を思い出させる捷水路に沿って真直ぐな道を進む。

懐かしさを感じさせる印旗沼の風景。

印旛捷水蕗に沿って走ると前方左手に「メタル・アート・ミュージアム光の谷」が見えてくる。

メタル・アート・ミュージアム。

バイクをメタル・アート・ミュージアムの駐車場に入れて入口までの細いアプローチを入る。

ミュージアムの入口はこの奥にある。

この美術館は印旛・佐倉にゆかりの共に近代工芸の第一人者・先駆者と言われる香取秀真(ほつま)(1874年-1954年)と津田信夫(1875年-1946年)の作品を集めたプライベートな美術館だ。

二人の作品は常設コーナーで見ることができる。定期的に開かれている企画展では金属を表現の手段に選んだ二人の先達にちなんで、若い立体作品の作家達がが紹介されている。

アプローチの左側には香取秀真(かとり ほつま)と津田信夫(つだ しのぶ)の像が入館者を迎えている。

香取秀真像(左)と津田信夫像。

突き当たりの左手には開かれた一枚がラスのドアとその奥に二つの光ったレンズが並ぶ鉄製の壁があるだけで入口が無い。一度外に出て入口を確認するがやはり入口はここのようだ。

試しに重そうな鉄の壁を押すと何と壁では無くてこれがドアだった。

壁に見えた入口のドア。

館長の北詰さんは佐倉市内の方で口数の少ない控え目な方だ。

取っ付きは悪いが香取秀真と津田信夫に関することなら聞けば何でも丁寧に答えてくれる。

印旗沼周辺と佐倉市飯野界隈は自分が幼・少年期を過ごした土地なので何時来ても安らぎを感じる。

このコースはこれからも繰り替えし通うことになる気に入りのコースの一つだ。

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