【7月4日(月)曇り】寺院巡り2
◆ 安國山 聖福寺(あんこくざん しょうふくじ)
開山は千光祖師明庵栄西禅師。建久6(1195)年に源頼朝公よりこの地を賜り、頼朝公を開基として創建された日本で最初の禅寺。また後鳥羽上皇より「扶桑最初禅窟」(山門の楼上に提示)の号を賜っている。
|
安國山 聖福寺総門。 |
|
総門に掛かる「安國山」の扁額。 |
栄西禅師は、この寺を建てるまでに二度宋に渡り、二度目に渡宋した折に中国の虚庵(きあん)禅師より印可を得、臨済宗黄龍派の法を継承して建久2(1192)年に帰朝する。宋の孝宗皇帝より「千光祖師」の号を賜っている。(中略)また栄西禅師は宋より「茶」を持ち帰り、当寺境内や背振山などに植えて、各地に広めている。同時に宋風の喫茶も伝え『喫茶養生記』を著して茶文化の先導的な役割を果たしている。
|
勅使門。 |
聞創以来八百余年、現在の住持である第133代白峰老師に至るまで連綿と法灯が護られ、禅の専門道場として厳しい修行が行われている。
1969(昭和44)年に境内一帯が国の史跡に指定されている。。
|
境内案内図。 |
勅使門の裏から伸びる参道を往き無染池に掛かる石橋を渡るとどっしりした山門の前に出る。
|
勅使門裏から伸びる参道と山門。 |
|
無染池と石橋。石橋の左奥が勅使門。 |
|
山門。 |
山門の裏に回ると「日本茶発祥の『茶の木』」が植えてあった。
立て札には「栄西禅師が宋から持ち帰った茶の木は佐賀県神埼郡吉野ヶ里町松隈にある『背振山霊仙寺石上坊』の前庭で栽培され、その後聖福寺の境内でも栽培されている。
この茶の木は茶木栽培発祥の地『石上坊跡』に自生する栄西禅師ゆかりの茶木を移植したもの。
|
日本茶発祥の「茶の木」 |
山門の奥には仏殿(大雄宝殿)あり、その前には回向柱が立っている。
「回向柱に結ばれた善の綱は、仏殿に安置されている本尊の三世「釈迦・弥陀・弥勒」仏の右手に結ばれており、回向柱に触れることは三世仏に触れることになる」と説明板にある。
|
仏殿と回向柱。 |
仏殿に安置されているのは丈六三世仏と呼ばれる「弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来」の三仏。弥陀は過去仏、釈迦は現在仏、弥勒は未来仏にあたる。
丈六は一丈六尺(4.8メートル)、立像で4.8メートル、坐像で3メートルになる。
|
左から弥陀、釈迦、弥勒。 |
仏殿裏の小道を回って鐘楼の前に出る。
|
仏殿裏の小径。 |
|
鐘楼。 |
勅使門前の角地に趣のある民家が一軒、玄関に山笠祭りを祝う幕がかかっていた。
|
総門前の民家。 |
|
山笠祭りを祝う幕。 |
◆ 華厳山 乳峰禅寺(けごんざん にゅうほうぜんじ)
臨済宗東福寺派の寺院で、1248(宝治2)年、大宰少弐藤原資能の開基により那珂郡上白水村((現・春日市)に創建された。 開山は寂庵禅師(承天寺第三世)。本尊である十一面観世音菩薩は博多七観音の一つとして知られている。
|
乳峰禅寺山門。 |
1911(明治44)年、承天寺境内に市内電車(博多電気軌道)が敷かれたために承天寺と乳峰寺が南北に分断された。1632(寛永9)年に駿岳元甫により現在地に再建された。
|
山門と「華厳山」の扁額。 |
山門を入るとすぐに本堂。
|
本堂。 |
山門を入って左手に摩利支天を祀った古いお堂がある。摩利支天とは帝釈天の一族で仏法を守る仏様。大黒天、弁財天とともに三天といわれるそうだ。
|
摩莉支天を祀るお堂。 |
|