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  2024年10月:高松
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高松市美術館、古川北浜アリー

【11月1日(金)雨】北浜アリー

宿泊しているホテルから徒歩で20分ほど雨の中を歩いて、向かった先は港の古い倉庫街を活用した複合商業施設「北浜アリー」。港を目にして高松が港町だったことを再認識する。

北浜アリー前の港。

2000年にオープンした高松港ウォーターフロントのトレンドスポットでギャラリー、ブティック、カフェレストラン、美容院、雑貨店などが入居し、広場ではフリーマーケットやコンサートなどが開催されるらしい。

「アイアムウイズブレッド」。この奥一角が北浜アリー。

レンガ広場。

瀬戸内フレンチ アウラ。

アウラ店内の様子。

サロンブルーへのエレベーターホール。

「警戒船」と赤書きされた旗をつけた漁船が港を進んでゆく。何事かとその行先を目で追ったのだが何事もなく港の一角に係留している。
海上で工事を行う際には他の船の航行完全のために警戒船を配置することが法で義務付けられているようで、それに対応した船らしい。

警戒船。

雨は止まない。高松港を後にホテルまで歩く。
ホテルで五時過ぎまで休んでホテル前からタクシーでビルの家へ。流しのタクシーを待ったが十分以上経つのに一台も空車が来ない。ホテルのフロントでタクシー会社の電話番号を教えてもらい、電話をすると配車まで十分ほどかかると言うが待つしかない。ビルに訊ねたら高松もタクシー不足が深刻なのだという。

ビルの家では恭子さんの手料理で晩飯をご馳走になる。

市場で仕入れた魚を恭子さんが捌いた刺身。

サワラの焼き物。

食べるのと飲むのに忙しく煮物や小鉢などは写真がない。

本日の主役。

四方山話の中、一時高松に滞在していた渋谷三郎の話になった。
少年兵として満州広東軍に配属され、戦後奇跡的に復員した渋谷は、その後放浪生活を続け高松にやって来る。彼は恭子さんやその友人たちと交流するようになり、やがて重い口を開いて満州で見聞きしたことを語り始める。聞き取りと書き起こしは稲孝子さん、編集を担当したのが恭子さん。それがこの「ここはお国を何百里」、恭子さんが一冊くださった。

渋谷三郎は1942(昭和17)年、14歳で陸軍戦車学校へ入学し、1944(昭和19)年、16歳で繰り上げ卒業する。卒業と同時に関東軍に配属され中国黒竜江省の佳木斯(チャムス)で地獄を見てしまう。 証言:渋谷三郎/聞き取りと本文:稲 孝子(旧姓 吉田)/発行所:株式会社 美功社/ISBN978-4-86387-192-2

渋谷三郎が語った満州の記憶。

恭子さんの弟さんケンジさんと、埼玉からやってきた恭子さんの妹さんも交えた楽しい一時はアッとという間。外でタクシーが止まる音がした。

高松市美術館、古川北浜アリー
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